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冬の旅


或いは、冬の光。


11月16日に年内最後の外来を済ませてから、翌る日に巣を旅立った。

そう、なぜ巣を巣と呼ぶのか、人なのかモノなのか女版ジャニーズなのか…身から出た錆にしろ抱えてしまい手放せずにある大きな2つの困難(もう1つあった読んでくれている人もピンと来るであろう過去のしがらみは苦労し、手順を踏んで完全に捨て去ったら、今は全く思い出すこともないし、逆に呆れ果てることさすがにひどすぎるのではのオンパレードは今となっては先方の中途半端じゃなくクレイジーな言動のお陰で、行動に中々うつせない私の頑固をも動かしてくれてどうもありがとうに変わった。関わっている人たちを不思議に思う皮肉もどうにも思わなくなったところまで来たら、やっといい流れになってきた。時間はかかった。長きに渡ったかりそめの生活というものも、まっさらになくなってきて枠組がただぽつねんと残ってふーんという感じになったら、たのしいことが増えてきた。捨てされそう。ただもう1つが非常に手強い…かりそめだった生活を完全に捨て去る事項にも関わる…まさに文字通りの生業…事務所名がただただ虚しい。何千万回目のがっかり落胆。ターニングポイントは2月か…生き延びているだろうか、もうここまで書いたらどうでもよくなりつつあるが…)についてさっさか広く言及し助けを求めたいのは山々。もういっそのこと、いっきに堰を切ってしまいたいところだけど、自分がもうちょっとしっかりしないと、保身は本当にないなという感じの事柄だから堪えるしかない。

あまりにどれにも何事にも'闇雲に'真剣すぎた。

励ましてくれたり、助けてくれたり、叱ってくれたり、尊重してくれる人がいなかったら今頃、自分だって自分の関係あると思う何かを巻沿いに木っ端微塵に散っていたと思う。別に、何もおかしいことはないと思う。無差別テロとは話は違う。恨み節、呪い…ずっと夏頃まで紙一重だった。極自然なことでしょう。おそろしい話でも何でもなく、ニュース報道にみる世の縮図…我が身にも。

巷では、忘却がいいだとか、やれそんなものに関わるな手放せ、離れろ…自分を大事にせよとまくしたてられるように迫られるけど、自分が自分でそれでしか生きられない極限られたところで短くない間、エネルギーを狭い中でぐるぐると、巣とねぐらに刻み、生きてきたから、そんな簡単には見切れない。どう片を、ケリをつけるか。つくのか…捨てまくる、離れるしかまぁないはな。

人を人と思わない対応の人物から離れるのはたしかに正しい。いや、モノとして、人として弁えず申し訳ないってことか?悪かったな、物申して。いつものように言うこと聞かずに。気狂い認定、同調圧力で対応せず、なかったことにして突きつけることが奇しくも在東京の先方の仕事、ということがこの数年でよーく分かってきた。ただ文化を餌にされちゃったり、特別な特殊な場には、代わりが効かない、中々あきらめ切れない…エネルギーを拡大……おそろしい、だが恐れている場合ではない。(文化だってたいがいパチモン、真のアングラもそこに根付く生活も気付かれた'時'点で、消費の渦に荒らされ、ゆるやかに壊されてゆく。再生を促すスピードも早すぎるんじゃないだろうか。人の波に紛れるのがベストなのじゃないかとすら思う始末)


それでも、本当に捨てる心しかないのかも知れない、と思えるようになってはいるお陰で、その境地には辿り着けそうになくとも、少し目指すべき'捨つる心'があることには救われている。

日々、境界線を行ったり来たり、と。


今なら言ってもいいかな、と思える劇場内の雰囲気の時があって、顔馴染みのお客さんたちの前で、楽日近くになって週のゴールがみえた頃、ペラっと触れたことが含まれるのですが、今まで当たり前だった、踊りも旅も、もうそんなことは本当だったら自分にはそのような財力も力も気力も残っていなくて、何もなくなってしまっていて、夏頃から消えてしまいそうだったところを、ご縁のある人たちに気にかけてもらい、1つずつ目標ができたりしながら、ふらふら迷惑や心配をかけながら息を吹きかえしてきてました。

10月中、そのときも前日までは踊る、パフォーマンスができるとはとてもまだ思えなかったけれど、自分で自分をいつもの如く追い詰めるのは変わらず、何かしら踊らないととても生き延びられはしない状況で、熱海の劇場さんとお姐さんからは快く、あたたかい気持ちで香盤に迎え入れてもらえたので、あとは必死だった。


11月結も、遠い旅先、やりたい企画はおろか4回かたくて広いステージで動きまわれるのだろうか…絶望、となっていたけれど、10月中を終え、会う人、気にかけ励ましてくれる人、さまざまなところから力を受け取れて、気力がみなぎってきたため、ぎりぎり二転三転、こちらでも綱渡りのような毎日ながら参らせてもらえました。

そうです。今回実現には至らなかったけれど、石鎚山に、もしかしたらお姐さんたちは登るかも知れない、というはなしを前々から薄っすら知っていて、踊りは無理かも知れないけれど、山をなぜかどうしても目指したくて、その話を具体的にお姐さんに伝えたときの会話がなかったら浮上の機会、きっかけはおそらくなかった。

結果、中ムラサトコさんのスケジュールもこの時を逃したら、しばらくは簡単にお願いできないのを後に知れたり、本当に命からがらでしたが、ですが、皆さまのお陰さまで、minori冬の旅はこうして始まりました。

山に登っていいのかどうかと注意点を整形外科の先生には一番聞きたいはずだったのに、それだけをまるっと聞き忘れ、まとまらない頭で、荷物に右往左往し、先ず土砂降りの中、沖縄に飛んだ。巣の窓も少し開けっぱなしだった。いつも何かの時に…(笑)と身につけてるさいごに残した貴金属すらも飛行機の時間に1分1秒争っていた為、豆皿の上に置き去りにしてしまい、やや心許ない冬の旅となった。


旧盆の前回ほどじゃないけれど、再び煮詰まってはいた。思い浮かぶ会いたい人、人の輪、場へ力を振り絞って向かっていった。あのスーパーアスリートお姐さんの応援で伊是名島へもはじめて渡った。





お姐さん方と同じように踊りの島を経由し、伊予の国に入れたことも、どう考えても妖しげなわたしを今回もあたたかく迎えてくれた皆さん、ありがとうございます。嬉しかった。

伊予の国でのことは業務日誌としてもう少しいくつか、いつか書きます。書けるかな。整理し、次の仕事をするための鼓舞、ポエム、書きごと、書き出し

何かの渦中に身を投じ尽くすこと、からだに染み付き、刻まれ続けています。

たのしいこと生きる喜びにいっぱい溢れている反面、どんどん爆発的に地に足など着いていないし得体が知れない自分への負い目、世と擦り合いようがない感じ、考えても追いつかない。

以前だったら映像を特に信じていたので、拠り所にしていたけど、たしかに歩調が合わないなぁ。暗闇に行きたいし、行くんだけど、何か余っちゃう。持て余すというのか…
字や文章や言葉の意味が、間に合わない感じ?追いつかない?肩すかしな感じがよくする。
東京では特に、東京じゃなくても酒場に行かなければあんまり誰とも落ち着いて会話してないかも知れない。自分だけなのか。よく分からない。

'意味なく'文字を書いたり、絵を書いたり、オブジェを作ったり、手っ取り早くは飯作って深呼吸して、心を宙にばら撒く、労働し、踊り、生きようとしている、日々。

溢れる生きる喜びはしっかり貯まっている。
後悔はない。いつだってどうにでもなれ


冬の旅という響き、アニエス・ヴァルダの映画を思い出す。

まだ松葉杖ついている頃にみにいったのだったか…映像は相当よくて見入った記憶はあるのに内容すっかり忘れていたりで、ふりかえる。


5月頃、映像中の主人公と放浪の描写に崇高を見出していたらしい。

冬の旅を思い出そうとしたら、冬の光が気になりはじめる

俳優さんたちも常連さん多いのでしょうが
これぞ'ベルイマン節'ね、な台詞まわし
字幕なしだと意味は全く分からないけど、
ようやく無意識でも'節'は聞き取れてきた。
クイズに出題されたらひらめきそうな感じ


確認してみていると、そんなに遠くはない過去にふりかえっていた記憶。何なのだろうと思わされる冬の光。

耳でだけ注目し、お買い得白子を焼いていた。

一度お湯に通したら形が崩れないのか…あのフォルムを口に放りたいからね。

まだ心は旅したままの乱れで食べものうまく扱えず
食べものを写すの本当に下手です(笑)が、
クレソンアピールだけはさせてつかさい!
ピリりと旨い!!
クレソンLOVE美より


冬の旅から帰り、万年筆界の姫(これだけは紛れもないリアル。そういうリアルな出来事により励まされる。この時は偶々、ボールペンの姫だった)から届いていた手紙はホッとしたなぁ…

そんなことを受け、映像、物語、ことば、文字、声…意味などを踏まえ受けつつnote


3週間分くらいの溢れる苦悩と喜びやら何やら思惑にまつわるかも知れない事柄について2投稿くらいして、身辺が落ち着いた(笑)やっと物質の整理も再開できそう。


本当のことは忌み嫌われる、最近ずっとこのことばかり思っています。リアルでもあちらでも、こちらでも。もっとも虚構の中でさえ(笑)いいじゃん、逆に…とそろそろ思う。

色々書いたけれど、最も強調しないとならないのは、どう考えても妖しげなわたしを今回もあたたかく迎えてくれた皆さん、ありがとうございます。嬉しかった。


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