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2022.10.10→11


4ヶ月前くらいまで、運用方法はおそろしく違って恥ずかしいけど、書いてゆくことで書く筋肉みたいなのとリズム感と対人への思考や行動のはずみにもなるから、週一のペースで気ままに綴っていた。10回くらい。

ところがどっこい、予期しないどうしても手放しにはできない感情に6月頃からぶちあたり、以降音を立てるように、こうやって人の精神は崩壊してゆくのか、、と自分でも分かるくらいに今年の夏は本当に苦しみました。

普段はおいしいものを口に放ることで、気持ちや行動のバランスはぎりぎり取っている、己の落ち着く範疇を何とか保っていると信じ込んでいた精神的なことで、たぶん経験したことがないすこし深く踏み込まなくてはならない未知の領域に、今までは飲酒などでふわっと踏み込んで知った気になったり妄想像の冒険をしていたのですが、願ってなのか身も心も踏み込まなくてはならない状況へ、自らを進んで追い込むことになりました。

もう少し楽をする選択もあっただろうし、ところどころ考えとは違っても、このままだと本当に地面に這いつくばったまま腐ると悟り、方向転換して普段はしないようなことを試してみたり…


それにしても久々にじっくり開いてみたら変な下書き(笑)

(十年以上、鄙びて埃をかぶってボロいようでも使い勝手がよく、すらすらと雑記ができていたライブドアブログが、パスワードを暗記した気になっていたけどスペルが逆だったのか、はたまた誰かのいたずらかは分からないのですが、とうとう当人も入れなくなってしまったので暫くはこちらに記します。)

まだ整理もつかないし、理由はないというのもよーく分かってきましたが、長い間壊れないように用心してきたものが音を立てて散り、今の私は何をしたらよいかも分からなくて…

なんて書いているけれど、それは12年前も同じだったかも知れない。


今の自分はどこに居ようと、随分めちゃくちゃすぎてどうしようもなく、素面だったり、裸体を空間に燻らせたり、踊らせて貰っている時以外は、誰にも合わせる顔などないのですが、どうしようもなく片付けられない感情の矛先に対峙する生命のエネルギーに、肉体もろとも年々深く触れて生きていることに感激し、ありがとうと思っています。


しかし、詰め込みすぎたのだろうなぁ…

最近思うことは

・虫に一番言葉が通じる

・鳥の気持ちは何となく分かったりするが、あちらの方が達観していることが多い

・人類って…


混乱する世の中で、肉体以外の資本を持たずに生きてゆくのは無理と段々知り、無理を無理と思わせないような仕事の仕方に無理を覚え、諍っていた夏でした。

一旦、書き終えます。

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