見出し画像

月曜日


ちょっと前だったら、note投稿日に設定していたり、モデルポーズ開始日だったり、温泉地での夜のショーは、振り返ると自分の中でボーナス的出来事の確率がやたら高かったり、いざ東京での朝の通勤ラッシュに自分の予定移動が被ると、身構えざるを得ないところはあるけれど、ジンクスに大きく左右される日。

心ある人たちからの手助けで、命からがら荷物がひしめき合う部屋に引き戻り、心ある人たちからの援護、支援の食料を口にしながら、従事するのが難しくなった仕事先に事情を説明する連絡を順番に入れ、まずはホッとして、みえてくるひとつ先の展開、展望。

それは、ひとつであったり、ふたつであったり、一喜一憂することがたくさん沸いて出てくるようであるけど、歩行がしばらくできそうもないことで、随分と限られてくる。


待ちに待った月曜日。いくつかあたってみたけれど、前日雨風凌げてお腹と喉が潤せたあとの心配と悩みの種である保障関連は、勤め人ではないから、手厚くカバーしてもらうのは当然に厳しい。それは、飴と鞭を食らって生きる時間も、段々と人生半分にも近くなってきたのでさすがに、情報云々というよりも肌で感じて瞬時に理解して処理をするという動作一連をあらためて確かめるような感覚。

肉体が若かった頃の方が、まだ生活環境すべてが、今より保険をかけた暮らしをしていた。(強いられていた?→本当は、こういうところに焦点を当ててほじくり炙り出すことに生きている醍醐味があると思っているけれど、まだ当然そんな段階にはいない。サバイバルステージに突入。)

特に、この三年ですべてが無くなった。
無くなり消え去ってゆくように、まわりを見渡してダメか…違うよな…?と長いこと自問しながら、マイナスからゼロ地点には立てたのではと確信するに至った区切りまでの日々のそれでも少しは矯正してやり過ごしていた生活から、本来の、危険とも取れるその場限りの生活に価値を見出すようになってきたのらしい。

と、(このnoteを読んでくれそうな人の中には私の混み入った事情を色んな範囲でお知らせしている人も少なからず有りそうですし、わたしよりもわたしのことがよく見え、精密な想像をする人もいるような気がしますし、もう取り繕うことも出来ない状況にはあるので、敢えて記しますが)すべては機、自分の行いがかえってきている訳なのですが、場合によっては明日、来月住むところも、今のような事態を想定した充分な蓄え、アキレス腱を切る前までと同じように向かう仕事、自分の営み、それを担ってきたからだの働き、次の動作の予定が消失しかかっている、消失した私が言うのも狂っている、と捉えられる方が多い現実も肌にすぐ様感じられる。

翌火曜日、2度目の病院に行った。

6日経って、アドレナリンや気張りも取れると途端に階段が大変。重い身体、庇って働く反対の腱をはじめ、室内の移動で使う膝の皿、他の部位の負担が気になる。

やっぱり年齢や職業なんかで、縫い合わせをすすめられるけど、今の自分の状況や最初の救急の先生の見立てで勧められた保存療法がよいと思っている旨を伝え、診てもらう。

まだ撮っていなかったレントゲンの結果、骨には関わっていなかった。稀に、切れた腱が絡まる?とか衝撃で破損しているとか?そんな事例もあるらしく、そうなると保存療法は相応しくなくなる。やりとりの結果、次回までに最終判断は保留となり、保存ならば1週間くらい治療開始が出遅れてしまってることも指摘され、何だかわたしらしすぎる展開と思ったことをごにょごにょ捨て台詞し、おちゃらけて診療室をあとにした。

帰り際、区の人に言われた通り、病院の相談窓口に現在の心配なことを申し出たら、ケアワーカーの人を紹介され、現状をさらに精密に確認。自分が一番痛感する区の人と同じアドバイスを受ける。


配車アプリで頼むタクシーの運転手さんは、偶々なのか毎回道に必ず詳しくない。目の前の新しいことを必死にクリアする姿は、自分と重なる。初めて東京の病院にかかる時にお迎えに来てくれた高齢ドライバーさん、時間は思ったよりかかったし、相当耳も遠かったけれど、アプリを分からなさそうにしながらもどうにか駆使し、運転してくれた。結果、助かった。

自分の現状、もっとも最悪な事態を想定すると、自力で暮らしていけるかなと思えるのは1か月余り、と自分では計算した。
その先のことは、何も分からない。

この概算?計算は間違っているかも知れないし、私以外のひとからしたらもっと短い、すでに生きているのが不思議かも知れないし、粟と稗でも食ってじっとして死ぬのを待て、自業自得がと思う人もいるかも知れないし、今あるもので凌いでよく暮らすアイディアが思い浮かび協力してくれる人もいるかも知れないし…とあらゆる想定をし、明日生きるのを目標に、歩けるようになるのを目標に、思いがけないサバイバルステージ?新たな境地に強制的に突入してきました。


月曜日。東京に帰ってきた日に、友達が届けてくれた買い出し食材が、頂きものの薬膳スープの素におすすめと書いてあった材料とうまいことかぶっていたので、落ちついて作業。


温まりました。


あたたかい言葉、心強い支援、お申し出をありがとうございます。

まず自分は、あちらこちらの袋の中の袋に散らばりすぎている、たしかに身の回りのどこかには存在するであろう書類を集め、分け、下書きまでの調べごと、作業、提出までのイメージがやっとできてきました…

こんなにも時間はあるのに、一瞬で今まで動き回っていた部屋の中を移動するのも、作業をするのも注意が必要です。本当は歩けていたって、ある程度の注意は必要だったのかも知れません。ちょっと蔑ろにしすぎていたのですね、からだを。今は他が難しいので、それでも思考停止になってしまう時もあるけれど、からだの動き、細かいことに注目する頻度が増えてゆきそうです。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?