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梅干しばあさん


ずっと何年間も、思い出すこともなく忘却の彼方を辿るエピソードがふと最近、急に思い出された。

私は、今ではだいぶ気をつけられるようになってきたけれど、十年前頃は自分のコンディションがどうなっているかが今よりさっぱり分かっておらず、時折ある約束を反故にしてしまった飲み会でのことだったので、直接対面することは叶わなかったのですが、私以外の二人の前によなよな現れた人物は、まるで四十年後くらいの私なのではと思える姿だったそう。

現場はたしか鶯谷の赤提灯、終電も終わりいかにも場末も色濃くなる時間、カウンターの隅にその女はひとりで居たらしい。

何を言っているかよく分からないけど、友好の印なのかおもむろに、おそらくごちゃごちゃした荷物の中から、どうせきれいかどうかは相当にあやしい類のビニール袋に入ったしょっぱい梅干しを押しつけるよう分け与えてきたという通称'梅干しばばあ'は、何十年か後のわたしを彷彿とさせる姿だったというその話題を、後日談で聞いた当時の自分ですらも、確かに梅干しを持ち歩いて酒場で取り出す習慣に何も不思議は感じず、明日にも我が身に起こりそうな出来事がおかしくて一緒になってケラケラ笑っていた。


時は経て、哀しみや虚しさや憂さから逃げるよう、時には執着的に妄執の彼方をひとり旅するのをどこか楽しみに、何かにかこつけ酒を生き甲斐にする体で飲酒は継続。

梅干しばばあのことなどはすっかり思い出すことなく、手間がすてきすぎる系な葡萄酒とお料理に癒されることに夢中になり日々暮らしていたのですが、突然時は訪れるのです。

生産者さんの分かる食材や商品を扱っているマルシェや店を物色するのは楽しくて、仕事前後に立ち寄るのですが、カラダがお疲れ気味なのか梅干しをはっきりと欲するときが増えた。

しっかりすっぱいのも旨すっぱいのも何でも癖になるもので、そうなると'梅干し 効能'を調べ出したりしてはさらにハマり、年初から出始めた花粉症らしき対策とし、白湯に梅干しを入れて温まったら実を食べ、残りの少し酸っぱさが溶け出した湯でタウロミンを服用し、ポーズ中などの鼻水が伝う状況防止に努めはじめ効き目も順調。

ある時、おいしい苺と干物をお世話になっている方からお裾分け頂けるとのことで、嬉々として引き取りに伺う際、あたりを見渡してみても旅しごと帰りのねぐらにはめぼしいストックもなく、都合のよい手土産も用意がなく…と思い巡らせると、松山のマルシェでかなり破格な農家さんが趣味で作っていそうなやたら酸っぱいけど何か毎日食べようと思える梅干しを所持していることに気付く。

とってもおいしいアイラウイスキーを飲んだ道後のバーで、食べきれずいた豆をいれて持たせてくれたミニタッパが大きさや按配がよく、洗って梅干しを移しいれるところまではよかったけど、私以外の人の口に果たして合うかどうかの自信がイマイチ持てず、結局は近所で見繕ったどら焼き持参に予定は変更し、梅干しのお裾分けは中止の判断となった。


梅干しをタッパに移しかえる行為をしている頃、鶯谷の赤提灯でよなよな塩っぱい梅干しを見知らぬ者に押し付けるという通称'梅干しばばあ'のイメージが久々にスッとどこからともなく降りてきた。


何だかお酒よりも気がかりな目先の事柄に追われたり、健康を崩せないプレッシャーを余計に感じ、普段採り慣れた糖分が足らずなのか主に和菓子に走りつつ、久々の一時の団欒を味わっていたら、段々梅干しをかばんの中にしのばせてきても問題はなかったし、様子を伺っていたら振る舞うタイミングもあるかも知れない等と思ってきたら酒が急に飲みたくなってしまった。


いつか記憶力抜群な通称'梅干しばばあ'に遭遇した二人に詳細を確かめてみよう。


この先、生きていたら梅干しばあさんにはなりそうな将来がみえてきた。

その頃の梅干しばばあが生息できる酒場の雰囲気がどんな様子なのかはうまく想像できないけれど。


(おいしい苺と魚のお裾分けおいしく頂きました。お礼もし届けば…ありがとうございます。)










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