拡散させること、縛り上げること
ある時期までは、キャッチーな自己紹介ができる人になりたいと思っていた。ある時期からは、わかりにくい自己紹介をしてしまうような人になりたいと思うようになった。今はなんて自己紹介していいのかわからなくなっている。
興味関心も、専門領域も、活動内容も、他の人より自分は拡散している方だと思う。特定の物事を続けてこなかった。
意図してそうしているのか、特性と環境ゆえにそうなったのかは、自分でもよくわからない。
自己紹介には困るが、拡散している感じは嫌いではない。エンジニアなのか、カレー屋さんなのか、葛尾村の関係者なのか、はたまた別の何かであるのか、よくわからなくなっているポートフォリオサイトは結構好きだ。
でも、拡散したままでいるのが、そろそろつらくなってきた。単純に、取り組む物事が増えていくのに、私の能力と体力と時間は有限であるため、つらくなってきた。なんとも当たり前の話である。
大学を卒業して、仕事になる水準を意識したときに、拡散したままであることの限界を感じた側面もある。やりたいこと全部やって全部極めていこうと思っていたが、そのような体力も気力も私にはないことが分かった半年間だった。
拡散期はここで終わりになりそうだ。
では、拡散した自分をどのように縛り上げていくのだろう。それが現時点では全く分からない。
とりあえず、取りうる方針は3つだと思う。場所で縛るか、コンセプトで縛るか、取捨選択するか。これらの合わせ技で縛り上げるしかない。
以前の日記にも書いたように、場所で縛るのは大学時代にやってみた。この縛りが解けたがゆえに、今このような悩みに直面しているとも言える。またここに戻るのだろうか。
コンセプトで縛るのには、昔から忌避感がある。棚田愛Tシャツを作るような昔の自分を愛すべき自分だと思えるようにはなったが、コンセプトを信仰している自分は未だ受け入れがたい。あるいは、信仰するに値すると思えるコンセプトに今はまだ出会えていない。
取捨選択をするのは苦手だ。Webエンジニアにも、カレー屋さんにも、葛尾村民にも、他のいろいろなものにも、なりたいのだからしょうがない。また、それを絞ってしまえば、自分の良さが失われるような気がしてならない。何者かになりたい続きなのかもしれないが。
結局、場所で縛ることも、コンセプトで縛ることも、取捨選択することもできそうにない。とりあえず、体力と気力が限界に達しそうなので、来年はWebエンジニアの仕事を細々と粛々とやっていこうとは思っている。
でも、それは対処療法だ。納得はしていない。
贅沢な悩みだが、この状況を破壊してくれる何かを待っている。それは場所なのか、コンセプトなのか、新たな出会いなにかはわからないが、この閉塞感を破壊してもらいたい。
そう願いながら、拡散した物事を抱きかかえて、1年くらいお休みしてみる。活動はお休み。みんな遊ぼうね。
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