素人であること、専門的であること
2001年早生まれ。同世代には大学を卒業する前後の人が多い時期です。卒業後の仕事について話すとき、「私には専門性がないから」という言葉をよく聞きます。文字通りネガティブな意味でも。特定の領域に縛られないというポジティブな意味でも。
11月4日に友人たちと企画したトークセッションでも、そのような話題になりました。働き始めて日は浅いですが、ソフトウェアエンジニアといういわゆる専門職に私は就いています。トークセッションでは、学生生活からは不自然な専門職を選んだ理由について問われました。これに上手く回答できなかったので、改めて「専門的であること」あるいは「素人であること」について文章にしていきます。
具体的な関係のもとで、各々の専門性を持とう
学部後半の2年間は特に、専門的でありたいと思っていました。次の文章にも書いたように「具体的な関係のもとで、各々の専門性を持とう」を行動の指針にしてきました。この指針は葛尾村での経験に大きく依存しています。
例えば、「葛尾村」という言葉が何を指すかは話者によって異なります。特に、村を離れた方々、帰村した方々、移住した方々では、所属する地域が大きく異なるでしょう。当たり前に、それぞれの方々の中にも違いはあります。「葛尾村」という言葉を使うときに、私たちは自分がどのような関係に属しているのか、どのような地域社会を思い描いているか、そのようなことを認識することが重要だと思い、「具体的な関係のもとで」という表現をしました。
また、復興支援や地域づくりと言われるような取り組みに携わる中で、各々が専門性を持つことが重要だと考えるようになりました。特に、過疎地域での地域づくりにおいては、地域外の人たちといかに接点を作るかということが重要視される傾向があります。移住促進の予算があるなら尚更です。しかし、地域づくりに関心がある人たちばかりが集まっても、人を呼び込む人たちが人を呼び込む人たちを呼び込む不健康な循環になってしまうように思います。呼び込まれた学生だからこそ、私自身は何かしらの専門性を掴み取りたいと思いました。
できる、仕事になる、専門である
経験が蓄積していくタイプの物事は「できる」「仕事になる」「専門である」の3段階になっていると考えています。「仕事になる」は外部環境に依存する部分が大きいですが、とりあえず仕事になるタイプの物事を考えます。
私の「できる」は何でしょう。例を1つ挙げるなら、チーズケーキを作ることができます。お店に出せるレベルではないですが、自信を持って友人たちに振る舞うことはできます。
私の「仕事になる」は何でしょう。経験は浅いですが、Webアプリ開発で食べていけるくらいの職能は身につけられました。また、知り合いのお店を借りて、間借りのカレー屋さんを何度か企画したことがあるので、カレー屋さんも頑張れば仕事になるかもしれません。加えて、葛尾村で地域インターンシップの運営をしたり、グループ展の企画をしたりしてきたので、イベントの企画運営もある程度は仕事としてやっていける気がします。
では、私の「専門である」は何でしょう。現時点で胸を張ってそう言えるものはないように思います。前述の「仕事になる」物事たちはいずれも他人に切り拓いてもらった道の上を進んでいます。何かが「できる」ようになると、自分の未熟さを改めて自覚することになりがちです。その先で、何かしらの道を切り拓いてはじめて「専門である」という自覚を得られる気がします。
先日のトークセッションでは、「仕事になるレベルの専門性」「職人であるレベルの専門性」という分類がなされていましたが、私は後者の意味で「専門」という言葉を使うことが多いです。
素人であること、専門的であること
では、私が「専門的であること」を礼賛して、「素人であること」を蔑んでいるかというと、全く持ってそんなことはありません。その一歩手前の「できること」を私は重要視していて、「素人であること」「専門的であること」はその物事への志向性の問題だと捉えています。
「できること」が好きです。美味しい料理を食べた時、自分でも作れるようになりたいと思うような人間です。いろんなことを「できること」にしたいです。たとえ雲泥の差があっても、少しでもできることで作り手と話ができるようになると思っています。友人たちの「できること」もとても応援しています。「できること」がたくさん集まったら楽しいことが始まる気がします。
その「できること」をどのように使いたいかというのが志向性の問題です。
美味しいカレーを作れるようにはなりたいですが、それは友人たちと自分にカレーを振る舞いたいからです。友人たちとのグループ展でより良い作品を制作したいですが、アーティストとして大成したいとは思っていません。素人仕事は時に仕事になるかもしれませんが、基本的には私たちの生活を豊かにするものだと思っています。「素人であること」への志向は私たちの生活に根ざしています。
一方で、ソフトウェアエンジニアとしては「専門的であること」を志向していきたいです。今は先人たちの蓄積にキャッチアップしつつ、周囲に支えられながら業務に取り組む日々ですが、いずれは自分も蓄積を作っていける人になりたいと思っています。大学院に戻ることがあれば、学問領域に対しても同じことを思うかもしれません。
余談ですが、両者は異なるようで似ている気がします。前者は人間関係が先立つコミュニティにおける問題で、後者は技術が先立つコミュニティにおける問題という意味で。
どうありたいか
以上の意味おいて、私はソフトウェアエンジニアとしての専門性を培いながら、いろいろな物事の素人でありたいと思っています。ソフトウェアエンジニアとしての専門性は背骨になるだろうし、ローカルに閉じている私の世界を外に開いてくれるでしょう。同時に、各領域の美味しいところだけつまみ食いして、自分たちのために得られたものを使うような素人でありたいとも思っています。
そういう専門性と素人性をみんなで持ち寄ったら楽しいと思いませんか?
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