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自分の人生で生きていく方法。難しいことは何もない。ライフイズコンテンツ。

日常が訪れたら2020年になった実感がない。

練習して、人に会って、記事を書いて、取材を受けて、その他諸々の作業とやり取りをして寝て起きる日々を送っているから、2019年と2020年の違いを感じることもない。そもそも数字が変わっただけで何も変わっていないだろうし、日々前にあることをコツコツとやっていくだけだ。

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実は2020年は落ち込むことがあった。
年始早々に同門選手に不幸があったし、それとは別に自分自身の表現についてどうやって行こうかと悩むことも起こったし、そこに追い打ちをかけて昨年末から仲良くしていた『ムガルカフェ』が火事で営業ができなくなってしまった。

正直、ぐったりくる時間があったのだけれども、生きることが全てであり、死んだら全てなくなるのだから、生きていくしかないと思って、目の前にあることをただただコツコツとやってきたし、やっているし、これからもそれは変わらない。

僕が格闘技を通じて伝えたいメッセージは『生きろ』だ。
そもそも人間は愚行と愚問を繰り返していくものだから、それが生きることだと観念して、日々目の前にあることに必死にやるしか生きる術はない。どんな綺麗事を並べたってそこに真実がなければ、僕はオモチャみたいな言葉に価値はないと思うし、人の抱える矛盾とか苦しみをまるごと愛して、表現していくものが生きることであり、オレが見せたい表現となる。

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いつかは死ぬし、いつでも死ねる。どうせ死ぬんだから、早く死んでしまえばいいなんてことは成り立たない。いつでも死ねるんだからいつでもできることをやったて仕方がないじゃないか。いつだって自分にしかできないことをやるんだし、いつでもできることはやるもんじゃない。人生はいつだってやってやろうじゃないか。

ムガルカフェ火事と生きる力

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ムガルカフェが火事になった。オーナーのカーンさんの奥さんがnoteを書いているので読んでみてほしい。生きる術であった火事が起こったその日にアカウントを作成して記事を書く、彼女の心情を察して読んでほしい。辛い気持ちを絞り出すからこそ伝わるものはあるのだけれども、僕も敗戦の夜に記事を書いたときは涙が溢れてきたから気持ちは想像がつく。僕の試合ごときと生きる術をなくした人を比べることは失礼は承知だけれども、気持ちはわかるんだ。

僕は火事のあったその日にムガルカフェのカーンファミリーと会っているのだが、絶望を感じている中で、それを見せずに必死で前を向く姿に生きる力を感じたし、生きる力をもらった。年始に不幸があった関係で心配で会いに行ったのだけれども、彼らは強かった。心配した僕が失礼に感じるほどに彼らは強かった。

オレたちはファミリーだ。今だからこそ。

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昨年、ムガルカフェの子供達と書いたナンの短冊に書いた言葉。火事でもこれだけは綺麗に残っていたようで、女将さんが写真とともに送ってくれた。ムガルカフェのコミュニティーに助けられていたし、看板娘2人とは仲良くさせてもらっていた。こんなときこそオレたちはファミリーであり、皆で助け合うときだ。

ムガルカフェの力強さは必ず復活するだろうし、そこに関しては何も心配していません。彼らは強いし、生きる力を持っているから大丈夫。

ムガルカフェの女将さんの発信が、格闘技選手やスポーツ選手において、大事なことをやっているのを感じてもらえるだろうか。スポーツ選手だけではなく、生きる全ての人に役立つことを教えてくれているのだ。これは書いておこうと思うので以下記すことにする。

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