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8年後の自分はどうなっているのか 僕にはまだまだ見えていないことがあると思う話

宇野薫さんの修斗の試合を見て、その日の夜は感情を整理できずに書けないのはわかっていたので、翌朝に書こうとパソコンの前に座るも何を書いていいのかわからなくなって、書いては消しを繰り返し何も書けない時間を過ごしました。朝倉未来さんとYA-MANさんの試合の記事は評判がいいのですが、気持ちに靄が掛かったままです。

試合前に宇野さんにお伝えしたのは「怪我なきように」ですが、試合後も大きな怪我はないようで、試合だから勝ち負けはあるにしても無事であればそれでよかったです。試合をレフリーが止めるタイミングでセコンドの五十嵐さんからタオル投入が同タイミングであったことに安心しました。事故なくケージを降りる体制が整っているのは当たり前ではありますが、選手もセコンドも勝つことに夢中で疎かになりがちな大事なことです。宇野さんもチームもおつかれさまでした。

勝ち負けも大事ではあるのですが、それ以上に身体が大切なので、無事であればそれでいいのです。そして僕は勝ち負けで試合を見ていなくて、勝てば嬉しいし勝ってほしいけれど、宇野薫が創り出す世界に興味がありました。

格闘競技者である宇野さんには残酷な言葉ではあるかもしれないけど、勝ち負けで宇野さんの試合を見ている人よりも、「宇野薫が創り出す世界」を見て感じて、生きる糧や学びにしようとしている人が多いと思っていて、勝てば嬉しいし勝ってほしいけれど、宇野薫が何を見せてくれるのかに期待しているのではないかと思います。少なくとも僕はそう思っています。相対的なものではなく、絶対的なものになっているように感じています。

宇野さんの試合を見て自分が何を感じたのか上手に言葉にできないのですが、「生き様」とか「かっこいい」の類の言葉が適切でないのだけはわかっているし、適当な言葉で包んでそれとなく時間が流すようなものにしてはいけないと思っていました。ズシンと響いて堪える類のやつです。

宇野薫ほどの人が48歳で後楽園ホールで格闘技の試合をしていることが常軌を逸していることだと思います。48歳でコンディションを整えることの取り組みは想像を絶する大変さです。それ以上に宇野薫の立ち位置を持ってすれば後楽園ホールで試合をする必要などまったくありません。損得勘定のないピュアな取り組みが一般的にかっこいいとなるのはわかるけれども、僕には凄みと怖さに感じてしまって、この狂気を見せられると僕はこの人にはまだ逆立ちしても勝てないと思いました。正直、ちょっと格が違いました。

40歳を過ぎて格闘技の試合をする選手は今や多くはないにしても珍しくはなくなっていて、40歳過ぎてからプロデビューも聞く話ではあるのですが、そこらへんの趣味と自己承認欲求を拗らせたおじさんの話と「プロ格闘技」を経験した我々の話では全く別物の話で、宇野薫を持ってしても格闘技をやめられないのかと思うと僕は一気に怖くなってしまいました。

宇野さんの競技生活は宇野薫の生き方であって、誰が何を言うこともなく、身体に気をつけて好きなようにすればいいとは思うのですが、青木真也の話は自分自身の話であって、これこそ自分が好きなようにすればいいとは言っても難儀なことです。宇野薫を持ってしてもやめられない格闘技と僕はどう向き合っていけばいいのかと思うと気が重くなるのです。ここからは自分の話を書いていきます。

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