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日曜日は宇野薫さんが修斗で試合 共感だけでなく、期待や希望をもらえる試合になることを祈るの巻  

今週の日曜日は「FIGHT CLUB」が格闘技界の話題の中央に鎮座している構図ですが、僕が気になっているのは宇野薫さんが修斗で2年ぶりの復帰戦を闘うことです。古くからの格闘技ファンであれば触手が動くのは宇野薫の試合でしょう。

発表会見があったわけでもなく、プロモーションの事前映像がドカンとあるわけでもなく、大きな対価や見返りがあるとは思えるわけもなく、用意された競技としての試合を淡々と闘う宇野さんの内面に僕は興味が湧きます。

対戦相手はキャリア3戦1勝2敗。しかし東海大学柔道部出身の身体的素質を持つ選手で、修斗世界3位の申し訳はついてはいるけど、1勝2敗で世界3位なのも突っ込みどころ満載で、申し訳であることは誰が見ても明白です。宇野さんが闘う意味や理由を見つけるのは僕には難しいです。対戦相手も1試合としての勝ち負けで考えるだけで、何かを引き継いでくれたり、背負ってくれる気概も力量もないだろうから、余計に宇野薫の無駄遣いに感じてしまってこっちが寂しく感じます。もちろん宇野薫本人が良ければそれはそれでいいんだろうけれど、勝手に思うことはあります。

修斗後楽園大会で得られるファイトマネーは知れているし、宇野さんがキャリア絶頂期にもらっていた金額からは桁2つ違うと僕は思うし、試合を宇野薫自身のプロモーションとして捉えたらもっと違ったやり方があるし、宇野さんが仕事として試合をする意味や理由を見つけるのは僕にはここでも難しいです。

レジェンドマッチでいいだろうし、もっと言えば自主興行や放送マッチの選択肢もある中で、修斗で若手と何のメリットもないであろう試合をする宇野さんを全く理解できないからこそ、興味が湧いてきます。宇野薫という人は丁寧に見方の導線を敷いてくれるタイプの選手ではないし、それなりに練習をする距離感の僕ですら本心を引き出せないところがあって、そのベールに包まれた感じが余計に想像を膨らませて、興味を持たせるのは宇野薫一流とは言え、ずるいと思ってしまいます。何かを創る上でケアし過ぎずに不便にするっていうのは大事だと感じます。まあそれはそれとして。

宇野さんは格闘技が好きで格闘技中毒なのでしょう。格闘技で得られる抑圧からの解放は、日常生活では存在し得ない代替不可能な強い刺激であるから、多くの選手がその刺激に取り憑かれています。僕もその一人なので、それもよくわかります。とは言ってもさ!です。

僕は宇野さんの41歳からの46歳の間の4試合をセコンドとして側で見させてもらって、僕の30代中盤から後半を宇野さんに支えてもらって試合をしてきた関係性です。宇野さんが試合を通じて見せてくれたこと、かけてくれた言葉は、今になって意味がわかることや効いてくることが多いです。受け取る側が問われるからこそ、宇野さんの一挙手一投足を見られることは貴重なことで興味が増します。

明確なタイミングはないにしても、宇野さんは希望や期待や憧れを持たせる表現から、共感を持たせる表現に変わったと思っています。それは宇野さんに限った話でもなく、青木真也にも言える話で生きる中で表現していく上で「希望 期待 憧れ」から、多くの人が感じる人生の思ったようにいかない感じが「共感」されていく表現に変わっていくのだと思うし、それは自然な流れだと思います。平家物語然り、諸行無常 栄枯盛衰であって、人は必ず老いていくものです。

2019年の宇野さんの試合後に僕はこんな記事を書いていました。

「達観したっていいじゃないか」2019年に僕はこう書いています。確かに達観したっていいし、むしろ達観するべきなんじゃないかと思います。達観や諦観を持つことが大事だと思うこともあるのですが、2023年11月現在宇野薫に達観も諦観もない現実を試合をすることで突きつけられるのは、僕からすると「逃さねえぞ」「逃げんなよ」と首根っこを抑えられているような気がして、試合を見るのが怖い気持ちがあります。

日曜日の夜に月曜日からの仕事に向かう何かを得られるのは「宇野薫の試合」です。40代以降の世代は共感は得られるだろうし、期待や希望を得られることを期待して糧になるような試合です。共感だけでなく、期待や希望をもらえる試合になることを祈っています。

僕はまだ宇野薫に期待しています。

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