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40歳になりました。生き方が確定しました。

40歳になりました。皆様のおかげです。ありがとうございます。

歳を重ねたことが嬉しいわけでも、偉いわけでもないと思っているので、「おめでとう」とお祝いの言葉をもらうのはなんとも言えない気分ですが、ありがとうございます。こうして元気に40歳になれたことを感謝します。40歳になった今も今までと変わらずに闘いを全うしていこうと決意を新たにしています。

自分が40歳の認識はないというか、若い頃に自分が思っていた40歳とはまったく違うというか、心身共にまだ闘おうとしている自分がいます。20代の自分は40歳の自分をもっと衰えていると思っていたし、言うなればもっとやりきれているだろうと想定していましたが、身体は若く、気持ちは未だ貪欲さを保てています。日々の取り組みと親からもらった頑丈な身体、頑丈に産んで育ててくれた両親には心の底から感謝しています。コンディショニングの大きな要因は先天的な身体の強さだと思っているので、これ以上のギフトはないです。

同世代の選手のほとんどがプロ格闘技選手から退いています。完全に試合から引退していたり、試合はしているけれど、他に仕事を持って余暇で試合をしています。自分の名前で生きて闘いを辞めれずにいるのは稀有な存在だと思います。青木真也は2023年40歳となっても変わらずにプロ格闘技選手でいます。

ただ40歳になってプロ格闘技選手でいることが凄いとはまったく思っていません。むしろ燃え尽きることができなかった自分を恥ずかしく思っているところがあります。未だにやり切れていない自分が恥ずかしいし、先に進めずに格闘技から離れられずにいる自分を恥ずかしく思います。毎度言っているけれど、続けるよりも辞める方がよっぽど難しいものだし、やり切れるほど苛烈に取り組めなかったのではないかと今も自問自答しています。

僕は何よりも難しいのは「格闘技を辞める」ことだと思います。その意味では僕はずっと格闘技を辞められないのだろうと観念しています。日々練習するとか、試合を求めて闘うとか、日々節制して生きるのは並大抵でないと感じるのかもしれません。周囲から見たら凄いモチベーションだと感じるのかもしれませんが、モチベーションとか、どこに向かっているとかではなく、生活の一部であり、生きる上で極々自然なことなのです。呼吸をするとか、汗をかくのに何故がないのと同じだと思います。強くなろうと思って練習をしていないし、カネを稼ごうと試合をしていなくて、日々を生きる上で極々自然なライフワークとして練習に仕事に取り組んでいます。その意味では大義はまったくないです。

とは言っても格闘技が仕事になって、好き勝手生きることが仕事になっているのは極々限られた一握りの恵まれた人間が許される生き方であって、この環境を担いで支えて下さっている方々に感謝の気持ちを忘れず、日々を懸命に生きていきます。僕のような与太者が何故かそれなりの立場を貰って生きていられるのは異常事態であって、その異常事態に感謝する気持ちは忘れてはいけないと思っています。いつからか誕生日はそんな環境と周囲の人に改めて感謝する日になっています。ありがとうございます。

自分が何を求めてどう生きていきたいのか。40歳になった今、これまでの生き方によって、浮き彫りになってくるように思います。どう生きていくのか。どう働いていくのか。何を求めて生きていくのか。なんとなくだけれど、自分がどんな道を歩んでいくのか見えてきたような気がします。

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