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格闘技は誰に頼まれたわけでもなく勝手にやっている 好きと感謝が大事な至極当然な話

土曜日に東南アジアで試合をした某選手から、「自分はどうしたらいいですか」とのLINEが唐突にきて、あまりにも唐突な上にその一行だけだったので、返信に困った挙句、数時間後に「知らないよ。自分がやりたくてやってるんだから、嫌なら辞めたらいい。いつまで甘えてんだって話だよ。」と返して、「わかりました」との返信で話は終わりました。日本語が少な過ぎていまいち意味がわかりませんでした。これは試されているか、クイズなのか。なんだったんだ。

こういうときに猪木問答は便利で「俺に言うな!」、「てめえで見つけろ」ですべて完了してしまう便利さがありますが、それなりに食らって連絡してきたんだろうから、さすがに雑に猪木スタンプで返すようなことはできませんでした。猪木問答で世の中の大半の悩みは解決すると思っているので、僕は猪木問答をお勧めしています。誰がどうみたいな話をしたいわけではなく、それぞれの立場や考え方や思いがあっての話なので、僕が記すことで「キー」とならないでいてくれることを願うばかりです。

僕にとっての格闘技は誰に頼まれたわけでもなく、自分の好きでやっていることなのが大前提にあります。だからこそ誰に頼まれたわけでもなく、道楽で放蕩三昧の僕の生き方や格闘技に共感してくれて、協力応援してくれる方々には心の底から感謝しています。試合をする場を整えてくれたり、練習する環境を整えてくれたり、与太者の僕の話をわざわざ取材にきてくれたりといつの間にか当たり前になった環境も感謝しても仕切れないし、この当たり前の環境はいつ無くなってもおかしくないからこそ、感謝して大事にしていかねばいけないと思っています。そもそも格闘技にこの環境ができたのもここ数年の話で僕が国内でやっていた所謂「格闘技冬の時代」には何から何まで手弁当でした。

僕にとっての格闘技はアクセサリーやファッションの一部ではなく、生き方そのものです。ちょっとしたいいとこ取りをしたいわけではないのです。全てひっくるめて格闘技が好きで、いいとこも悪いところも知った上で生き方そのものなので、格闘技に背を向けるようなことはここまでもこれからもせずに真摯に向き合っていこうと思っています。僕の判断基準の一つに格闘技が好きかどうかがあって、格闘技が好きであれば話ができるし、ムカつくことはあっても大抵許せる気がします。それが格闘技業界ってことだとも僕は思っています。

心の底から好きでやらずにはいられないことを誰にも頼まれていないにも関わらず勝手に懸命にやっているからこそ、そこに協力応援してくださる方々に自ずと感謝の気持ちが湧き上がってくるものだし、結局は好きと感謝が一番大事だなと当たり前なことを思いました。

自分が好きなことを勝手にやっているのだから、応援してくれって頼む筋合いのものでもなく、自分の取り組みや思想信念が合わなければそれはそれなのだから、人に合わせるわけでもなく自分の信じるもの、やりたいことを貫けばいいと思うのです。だからこそ「わたしはどうしたらいいですか」と言われたら話は終了です。それにしても思った以上で堪えたなって話でありました。ひとまず皆様、おつかれさまでした!だね。


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