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ひろさちや『知識ゼロからの般若心経入門』

最初の1行がわかれば般若心経を理解できる。

私的要約

262文字の短い経である般若心経は、大乗仏教の根本思想である『空(くう)』について書かれた経である。
『空』とは、『こだわり』の色眼鏡を取って物を見ることである。
例えば、決められた時刻まで30分『しかない』と思うか、30分『もある』と思うか、これは『こだわり』の心を通して見ているので違うものに見えているが、そこにある事実は『決められた時刻まで30分』というだけだ。つまり、『こだわり=損得勘定』があると『事実』を正しく見ることができない。心の在りように左右されず、ありのままに物を見ることが大切なのだというのが、『空』という思想である。
般若心経では、262文字に渡ってこの『空』について書かれてあるが、最初の1行さえわかればその全てを理解することができる。

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時
観自在菩薩(観音様)が 深い般若波羅蜜多を行じられた時(深い知慧を完成なされた時)

照見五蘊皆空
五蘊(私たちの肉体と精神を指す色-しき-・受-じゅ-・想-そう-・行-ぎょう-・識-しき-)が皆、空であることが照見(光に照らされて物が見える=わかる)し

度一切苦厄
一切の苦厄を度した(克服した)

この25文字で表されているのが、般若心教の教えのすべてである。
つまり、般若心教が伝えたいのは、
『観音様が「深い知慧の完成」をなされたとき、全てが「空」であることがわかり、あらゆる問題を解決された。だからあなたも、観音様のように「空」をわかり、苦しみや災難を克服しなさい』
ということである。
般若心経は、損得勘定を考えずに日々を生きることで、物事の事実をありのままとらえていくことを私たちに伝えている経なのだ。

教育×読書

この書では、釈迦の教えを『一音教』ということを紹介してある。
釈迦が一つ教えを語っても、それぞれの人がそれぞれの立場でその教えを聞き、その人はその人なりに理解する。これこそが仏教的態度であるとされるらしい。
つまり、『同じ話も聞く人に応じて理解が変わり、理解できるところまでわかれば良い』ということだ。完璧な理解などなく、今、この時点で理解できるところまで理解すれば良い。時間がたてば経験も増えて考え方も変わるはずであり、そのときもう一度、触れる機会を得れば、また違った発見があるかもしれない。それこそが『知慧の完成』ということらしい。
この話を受け、私たち塾講師としては、自分の説明を、生徒が10人いれば10様のとらえ方をしていることを忘れてはならないと思う。そしてそれを理解した上で、生徒たちの理解度の差によらず復習させること=もう一度触れる機会を得ることで体得していってもらうという姿勢を忘れてはならないのだろう。
『受験指導』などにはなかなか転用できないだろうが、この『一音教』の考え方は、本来の『学びの本質』なのだろう。

私的感想

『こだわりの色眼鏡をなくして物事の事実をとらえる』
はっとさせられます。
そして、『一音教』の教えについては、なるほどと納得させられます。
読書に対するとらえ方も、
・受け取る側によって理解の仕方が変わる
・同じ本でも一度目と二度目では違った理解をすることもある
・本を読んで、今、この時点で理解できるところまで理解すれば良い
・時間がたち、経験が増えて考え方が変わったときにもう一度読めば、また新たな発見があるかもしれない
というのが大事なのですね。複数回読みはこれまでもやってきていましたが、改めてその大切さを感じます。
まだまだ『空』の思想を理解するのは難しいですが、今この時点で理解できているところまで理解しておけば良い、との仏教的姿勢を持っておきたいと思います。

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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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