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地域×コンテンツの2019年を振り返る

(写真は京都アニメーション作品の舞台の1つ宇治市大吉山にて筆者撮影)

2019年も過ぎていこうとしています。今年度から常勤で教員になり、会議等で忙しくなった反面、大学が地方にあるということも相まって取材だけでなく研究という角度から地域×コンテンツに向き合う時間は多くなりました。

「聖地巡礼」が流行語大賞になったのが2016年ですから、それから3年あまりが経とうしている訳ですが、振り返ると2019年もこの分野では様々動きがありました。1年の締め括りとして、私のはてなブックマークから3つの記事をピックアップしたいと思います。

舞台は鴨川!「輪廻のラグランジェ」とサイクルトレインがコラボ(ASCII.JP, 2月7日)

鴨川推進委員会 

(Facebookページ「輪廻のラグランジェ(Rinne no Lagrange)鴨川推進委員会」より引用)

2012年に放送された番組の影響で「アニメによる地域振興の失敗事例」という印象を持たれてしまった感のある千葉県鴨川市ですが、実は今も作品を起点とした取り組みが精力的に続けられています。しかも記事を見てもらうとわかりますが、この取り組みも鉄道・アプリ・学校そして制作サイド(特別篇が制作・上映)など規模の大きい連携が取られているのです。それだけ、『輪廻のラグランジェ』は地元の人々にも愛され、そこに商機も見いだせるコンテンツになっています。

「鴨川は失敗事例」という風評が、むしろ悔しさのバネの1つとなり息の長い取り組みにつながっているようにも思えます。この「息の長さ」はコンテンツやそれを起点とした取り組みの成功には欠かせない要素で、コンテンツが生まれたときはさほど話題にならなかったり、鴨川のような風評に苦しめられても、時間を味方につけることで、長期的には他を上回る成果を生んでいるケースがあります。鴨川は台風で大きな被害を受けた地域でもありますが、キャラクターコンテンツから得られる力を確認できる場所の1つとして研究者の間ではその地位が確立しつつあります。(また私も行かねば)

「ゆるキャン△」が聖地・山梨県に与えた効果を山梨大学が調査 「地域の人々に自信と誇り」「経済効果は消費総額8000万円超」(ねとらぼ, 2月21日)

「参加者1人あたりが消費した金額は2万5152円。これは山梨県平均観光消費額のおよそ2倍」ということで、経済効果が高い、とここでは評価されています。気になるのは、テーマがキャンプということで地元の既存のホテルや民宿などの宿泊施設の利用は逆に下がるのではないかという点ですが、恐らく(元の調査データに性年齢などのデモグラフィクスを見つけることができなかったので)宿泊施設を積極的に利用しない若年層が舞台を訪れたと仮定すれば、一定の経済効果があるのだと考えられます。

「ゆるキャン△」が地域に与えた影響

(山梨中銀経営コンサルティング株式会社「ゆるキャン△」が地域に与えた影響調査について」より引用)

アニメやマンガの舞台になった場所をファンが訪れる、という消費行動は全体で見ると必ずしもプラスばかりではない可能性がある、という点はよく指摘はされるものの、舞台を「聖地」と捉える視点からはそこが死角になるリスクがつきまといます。わたしは「聖地」という言葉が元々持つ意味合い、つまり「信者にとっては絶対的価値がある場所」というニュアンスと、彼らを迎え入れる地域とのギャップはとても気になっており、自分の記事や文章ではできるだけ「聖地」という言葉を避けたり、「いわゆる『聖地』」と言葉を添えるなど注意して扱うようにはなっています。少なくとも客観的な評価をする立場では用いない方が安全な言葉になりつつあるのではないかと感じています。

『アニメで知る中国』京アニ爆発火災―焼かれたのは“日本アニメの過去と未来”〜葛仰騫著(JMAG NEWS, 7月22日)

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(8月京都アニメーション第1スタジオ近くにて筆者撮影)

今も思い返すと非常に辛い7月の事件。京都アニメーションが日本のアニメを捉える際、いかに重要な存在であるか、国内よりも海外のメディアの方が詳しく報じていたことも印象的でした。そしてこの事件をきっかけに、地域とコンテンツの関係も大きく変わってしまったように思えます。舞台探訪は、その地を訪れるファンと地域との信頼関係で成り立つ、とても繊細なものです。見知らぬ来訪者がとんでもないことをしでかすのではないか、という不信感がつきまとってしまっては成立しません。「聖地」だからという曖昧な価値共有ではなく、コンテンツを核とした地域とファンのあり方が改めて問われる契機ともなったと振り返られることになるのではないでしょうか。

放火事件があったスタジオでは、近隣住民の方からは慰霊に訪れるファンによって静かな生活が脅かされるのではないか、として慰霊碑の建立にも反対の声があると報じられています。映画『この世界の片隅に』では、主人公が嫁いだ呉市の舞台は、監督自らが「そこに立ち入らないように」という注意喚起も行っていたりもします。「その地を訪れる」という巡礼が行われるのがいわゆる「聖地」から想起される行動ですが、立ち入りを禁じたり、制限する「聖域」=サンクチュアリも必要なのだという認識が広がっていくことになるかも知れません。

アニメ聖地の成り立ち探る 民博、文化人類学の視点で(日本経済新聞, 12月13日)

みんぱくHP

(国立民族学博物館ホームページより)

地域とその地を訪れるファンとの関係が問われるなか、国立民族学博物館(みんぱく)主催の注目のシンポジウムが11月に開催されました。この記事では生態人類学・漁民研究を専門とされる飯田卓先生の発言が以下の様に紹介されています。

文化人類学は風土や歴史に根ざした生活様式を「文化」と捉え、調査研究する。一方、近年にぎわいを見せるアニメの「聖地」はバーチャルな世界を投影した現実の景観だ。飯田教授は「これらはネットによるコミュニケーションが生んだ価値観に基づくコンテンツ。風土や生活、歴史的な価値から切り離されていることがある」と指摘。多様な価値観に基づいて様々な事物が「文化遺産」に認知される近年の傾向を踏まえた上で、文化遺産とは何かを問いかけた。

講演ではこのあと、プロシューマー化したファンと地域による交流と主体的なコンテンツ創造への関与が、「バーチャルな物語が生んだ関係性が新たなネットワークを生み、イベントや物語を再創造した」(国立歴史民俗博物館川村准教授)と解説が試みられています。注意しなければならないのは、アニメの物語そのものではなく、それを核とした関係性の中から生まれる新たな物語が基盤となっていくという点です。それにあたっては、ファンが軸足を置くアニメの物語と、その地に暮す人々が擁する伝統的な文化を融合させる取り組みが欠かせないということにはなりそうです。(事例として挙げられていた『かんなぎ』のような神話性に基づいた物語は、その際、相性が良いとも思います)

2020年はオリンピックイヤーということで、各地でインバウンドを巡る企画が盛んに計画されています。一方でオリンピック後=祭りの後を見据えると、より「地に足のついた」取り組みが欠かせないはずです。単にアニメの「聖地」としてその地を捉えるのではなく、その場所に根づく物語と新しい物語をどのように融合させるのか、地道で息の長い取り組みがこれからは求められると言えるでしょう。





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