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物語とSDGs――ガンダムの先見性

つまみ食いをしないために

前回の投稿「ゴミ拾いはSDGsなのか」で、取り組みの中で避けて通れない利益相反の構造を物語で共有することの重要性を述べました。

SDGsの17の目標、そこに紐付いた169の達成基準項目はつまみ食いで取り組めば良いというものではなく、ましてやポーズだけでは「ウォッシュ」として批判されます。

なぜSDGsがつまみ食いになりがちなのか、と言えば「電気自動車と原発」のように、企業・組織の中での利益相反を直視したくない、という事情がその背景にあるのではないでしょうか。しかし、そうした不都合な真実こそがクリティカルであり、放置すれば破壊的な結果を招く、ということも前回指摘しました。そうした構造を理解するには、日々の生活・経済活動の中の自らの立場を離れて、あり得べき未来を疑似体験できる「物語」が有効です。

ガンダムとSDGs

そんな記事を書いているときに、この動画が公開されていることを知りました。

ガンダムに詳しい方なら「これは凄い(公式が本気を出してきた)」ということがすぐにわかると思います。バンダイナムコグループとしてもSDGsへの取り組みを強化していくことが宣言されています。

なぜガンダムとSDGsなのか? 1979年に放送が始まった『機動戦士ガンダム』――いわゆるファーストガンダムの冒頭のナレーションを改めて確認すると、そこにエッセンスが詰まっていることが分かります。

人類が増えすぎた人口を宇宙に移民させるようになって、既に半世紀。地球の周りには巨大なスペース・コロニーが数百基浮かび、人々はその円筒の内壁を人口の大地とした。その人類の第二の故郷で、人々は子を産み、育て、そして死んでいった。宇宙世紀0079、地球から最も遠い宇宙都市サイド3はジオン公国を名乗り、地球連邦政府に独立戦争を挑んできた。この一ヶ月あまりの戦いで、ジオン公国と連邦軍は総人口の半分を死に至らしめた。人々は自らの行為に恐怖した。戦争は膠着状態に入り、8ヶ月あまりが過ぎた。

『機動戦士ガンダム』より

物語で描かれる地球は荒涼とした土地が拡がり、環境破壊が進んだ姿が描かれています。残された自然豊かな僅かな土地に住めるのは、特権階級とそれに従属する人々であり、ほとんどの人類は避難先としてスペースコロニーに移住を余儀なくされ、かつての植民地を巡る独立戦争をを彷彿とさせる展開で物語は進んで行きます。進退窮まったなかでは民主的な政治権力体制は問題解決能力を持つことができず、専制的な権威主義が幅を効かせるなか搾取される他ない人々はサボタージュやテロ行為によって抵抗を示す――子ども向けのロボットアニメとは一線を画す重厚な物語が、いまから40年も前に私たちが直面しつつある危機を鮮やかに描いていることに驚かされます。

ある意味、ガンダムで描かれた世界よりも、私たちの置かれた現実の方が条件は悪いかも知れません。まだ私たちは「増えすぎた人口を宇宙に移民させる」ような技術レベルには達しておらず、宇宙に滞在できるのは特別な訓練を受けた宇宙飛行士か、ごく限られた富裕層に過ぎないからです。

民主主義の危機を回避できるか

SDGsとは詰まるところ公共圏を巡る利益相反の解決であり、期限も迫るなか迷い無く果断な「痛みを伴う」意思決定が求められます。コロナ禍への対応でも指摘されているように、時に迂遠で間違いも生じる民主主義よりも、専制的・権威主義的な政治体制の方が、その解決には向いているという面は否定できません。国内においても新自由主義的な政党・政治勢力が存在感を示しているのも、閉塞の打破への渇望の表れ、と受け取ることもできます。

一方でこういった専制的・権威主義的な政治体制は、中長期で見ると良くない結果をもたらすことも、歴史や様々な物語が示している通りです。

岸田政権は「新しい資本主義」を掲げていますが、同時に「新しい民主主義」の構築も求められています。

SDGs、その実現に不可欠な意思決定システムのあり方を構想する上で、物語の持つ力がこれまで以上に重要度を増していると言えるはずです。

※この記事は日経媒体で配信するニュースをキュレーションするCOMEMOキーオピニオンリーダー(KOL)契約のもと寄稿しており日経各誌の記事も紹介します。詳しくはこちらをご参照ください。

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