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多数決やめませんか?

大学でゼミをもっていると「お、おぅ」となる場面に毎年遭遇します。
何か活動をすることになる→複数の案が出てくる→「じゃ、多数決採りまーす」というアレです。

多数決で何が悪いのか? 国会だって多数決じゃないか、それこそが民主主義では? と思われるかも知れません。けれども多数決が社会の分断を招き民主主義を危うくしているという指摘がなされるようになってきています。

資料を読み上げることにほとんどの時間を使ってしまっている「読み上げ会議」では議論がほとんど行われていないという指摘を以前しました。そもそも議論のための訓練を私たちはあまり受けておらず、方法論(ツール)もほとんど学んでいないように思えます。

議論が行われないまま多数決になだれ込むとどうなるか? 手を挙げる前に周囲をサッと見渡し、他の人が多く手を挙げていそうな「無難な」案に一票を投じる、「ホントはこの案が良いんだけどな……」という思いは押し殺しつつ、ということも。採決の段階で少数派であることを表明したところで、何もメリットがないからごく自然な行動です。

「評価軸」を洗い出すのが議論の第一歩

筆者は実務経験の中でプロジェクトマネジメントの手法を学びました。「限りあるリソース(資源)を用いて、どの機能を実装するか?」「数ある不具合の中で、どこに優先度を置いて対応するか?」という判断を迫られるなか、プロジェクトメンバーの多数決で決めるという場面はほとんど無かったと思います。案が出尽くしたところで、学生が「多数決採ります」と言い始めたら、こんな表を示すようにしています。(プロジェクトマネジメントでは「多基準意思決定分析」と呼ばれる手法です)

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縦軸が案、横軸が評価軸です。縦軸は案が出尽くしているので埋まりますが、横軸は「今回の取り組みで自分たちが何を達成したいのか」が十分に吟味されていなければ言語化して埋めることができません。ここが議論の第一歩となります。

逆に言えば評価軸を洗い出すことができれば、あとは評価点(上記例では原則三段階、全く評価できない場合は0としています)をたとえ単純な多数決で埋めていっても、一定の納得感を伴う結論を得ることができます。

もちろん、評価軸を洗い出すためにも論理的な思考や事前調査など労力が掛かりますが、いきなりの多数決でそれらの論点をスルーしてしまうことはありません。何よりも「こんな価値観もあるのでは?」という少数派の意見も可視化される可能性が高まります。実際、ゼミの議論のなかでも評価軸を洗い出すなかで、新たな案(縦軸)が生まれ高得点を得たこともありました。

「多様性の尊重」を掲げる社会・組織であれば、単に少数派を大事にしていると表明するだけでなく、実際の意思決定のプロセスが少数派の意見をスルーしない形に整えられている必要があります。まず単純な多数決を止めるところからはじめてみてはいかがでしょうか?

※この記事は日経媒体で配信するニュースをキュレーションするCOMEMOキーオピニオンリーダー(KOL)契約のもと寄稿しており日経各誌の記事も紹介します。詳しくはこちらをご参照ください。

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