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贅沢品となる対面体験――あらゆるサービスはオンラインに向かう

緊急事態宣言が全国で解除されました。しかしこれは新型コロナ問題の収束=安全宣言を意味しません。第2波も予想されるなか政府も「新しい生活様式」の定着の徹底を図るよう呼びかけています。海外を見れば感染が拡大している国も少なく無く、ワクチンや治療薬が開発されてもその普及には相当な時間が掛かると予想され、「Withコロナ」あるいは人によっては「コロナ共生時代」とも呼ぶ数年間を私たちは余儀なくされることになります。

そんな中、対面で何らかの体験を提供したり、サービスを受けることはこれまでよりもコスト・リスクが高くなります。言うまでも無く、消毒やソーシャルディスタンス(これはフィジカルディスタンスと言い換える動きも出てきています)を保つために入場制限や座席数を減らす必要があり、その結果売上は減少します。サプライチェーンが感染対策で寸断されるなか仕入価格も高止まりし、利益を確保するには単価を上げざるを得ません。店内飲食・教育・観光・エンタメなど対面を前提としたあらゆるサービス業は以前のような価格を維持するのは難しく、オンラインという代替手段が普及する一方での「贅沢品」と位置づけられるようになっていくはずです。

その一方で、外出自粛というある意味「国を挙げての社会実験」となったサービスの全面オンライン化を私たちは経験しました。飲食店はインターネット注文によるデリバリーでなんとか売上を確保しようとし、教育の世界でも特に時間単位の人の交流が頻繁に生じる大学において講義をオンラインで行うべく、Zoomなどの会議システムを用いた試行錯誤が続きました。わたしの周囲でも教員はもちろん学生からも当初戸惑いの声がありましたが、デジタルネイティブの若者にとっては、あたかもYouTubeでも観るような感覚で参加出来るオンライン講義は、むしろ教室でのそれよりも馴染みがあるようです。提出された課題をみても例年よりも関与度・理解度が上がっているとわたしは手応えを感じています。家計の悪化によりアルバイトを増やさないと行けなくなった学生にとっても、移動時間を節約できるオンライン講義は就学を続けるための頼みの綱になりつつあります。

その他の分野でもエンタメでは映画館は再開したものの、座席数は半分以下に減っているなか、上映を劇場から配信に切り替える動きもありました。会社の会議や出張もこれまでは相手にあわせるほかなく進まなかったオンライン化が一気に進みました。オフィスの面積を大幅に縮小したり、賃貸契約を解除する動きも既に起こっています。

つまりこの変化は、コロナ問題が解決するまでの緊急避難的な動きに留まらないのだと理解する必要があります。今後さらに経済環境が厳しくなる中、これまで通りの対面を前提としたものから、オンライン化を前提としたサービス設計への変化は「生き残り」のために不可避となったのです。馬車の時代から自動車への時代へと変化したとき、移動手段だけでなく舗装や燃料補給などの交通インフラ、宿泊や観光、関連する職業や新たな産業の発生などあらゆるものが変化しました。後にこの時代を振り返るとき、このコロナ禍は同様のインパクトがあったと評価されるかもしれません。

ヴァーチャル=本質に目を向けるとき

あらゆるサービスがオンライン化する際、現実空間の有り様をそのまま引き写すことはできません。ネットワークでつながり、画面上での操作を前提とする以上は、歩き回ったり互いの距離や位置関係を再現することにあまり意味はなく(※例えば会話において適切な距離を保つというのは、現在であれば感染予防の手段であり、通常でも音量やジェスチャーを行う上での適切な間合いを取るためで、歩行して距離をとることそれ自体が本質ではありません)、Zoomが発話者にカメラ映像やマイク音声を自動的に切り替えているようにソフトウェアによるコミュニケーションの制御の巧拙が、サービスが支持を得るかどうかの鍵を握ります。つまり、サービスにおけるコミュニケーションのヴァーチャル=本質を捉える必要があるのです。ヴァーチャルは日本では「仮想的」と翻訳されることが多いのですが、本来「実質・実際の」という意味合いの言葉です。

Vitual=(表面上または名目上はそうではないが)事実上の、実質上の、実際(上)の <研究社 新英和辞典より>

ヴァーチャルというと2000年代後半にブームとなった「セカンドライフ」のようなヴァーチャルリアリティ(VR)をイメージする人もいるかもしれません。セカンドライフは、仮想空間に建物を作ったり、土地や商品を売買できるなど、いま人気を博している「あつまれ どうぶつの森」を先取りしたような高度な機能を備えていました。しかし、自由度があまりにも高く、サービスを生み出すのではなく、ただ楽しむ事を求める多くのユーザーには「何をしたら良いのかわからない」という壁が立ちはだかりました。Zoomにせよ「あつもり」にせよ、それぞれの利用目的に応じて快適なコミュニケーションを取るための機能に特化しています。これも本質を突き詰めた結果といえるでしょう。

では、サービス業の本質をオンラインに引き写していくとどのような姿になるのか? たとえば教育は今後急速にオンライン化が進むことは間違いないでしょう。角川ドワンゴ学園が設置し1万人以上が学ぶ通信主体のN高等学校のように、授業はオンライン受講が基本、入学式や卒業式、修学旅行(沖縄校へのスクーリングなど)を重要な対面の機会とするような学びのスタイルが大学などにも拡がる可能性があります。N高の学費は入学金が発生する初年度でも25万円、それ以降は20万円で国からの就学支援を利用すれば実質学費が無料となる場合もあり、コスト面でもオンラインの優位性が際立ちます。

飲食やエンタメなど他のサービス業でもこういった変化は不可避ですし、逆にこの変化を成長の機会とする事業者も増えていくでしょう。テイクアウト需要をうまく捉えたマクドナルドや巣ごもりで利用者を拡大したオンラインゲーム、配信事業者の好調はこれからも続くはずです。

もちろん対面でのサービスが無くなるわけではありません。しかし冒頭で述べたように、従来のような価格ではサービスが提供できず「贅沢品」となります。対面でのサービスを主体に据えるのであれば、その提供価値が消費者からこれまで以上に厳しく評価されることになるでしょう。また対面型とオンラインの2本の柱で行くのだという事業判断をするのであれば、その両方にヒト・モノ・カネを相当しっかりと配置しなければ、生き残りをかけた競争に勝ち抜くことはできないでしょう。両輪でいくというのは安全策に見えて、もっともリスクが高い戦略であることは経営学(例えばクリステンセンの「イノベーションのジレンマ」など)が証明しています。馬車と自動車の両方の事業を維持しようとして生き残った会社はないのです。オンライン化で問われるバーチャルな本質をあらゆるサービス事業者は自ら問い直すタイミングに来ています。

※この記事は日経媒体で配信するニュースをキュレーションするCOMEMOキーオピニオンリーダー(KOL)契約のもと寄稿しており日経各誌の記事も紹介します。詳しくはこちらをご参照ください。


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