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10分の10、というゆたかさ

▽「ゆたかさ」を辞書で引くと、最初に「満ち足りて不足のないさま、十分にあるさま」という意味が示されています。更に読み込むと「基準・限度を超えて十分にあるさま、余りのあるさま」という説明もあります。私は後者、つまり余りあるさまを、豊かさとしてイメージしてきました。前者の「満ち足りて不足のないさま」というのは、十分割して十ある状態であり、正に過不足のないさまです。過不足がないことが豊かさである、というのは正直、かなり新鮮な響きがあります。

▽その対象が何であれ、私たちは何時もゆたかでありたいと思う。それは私たちが生きていくために必要な均衡状態を保とうとする、本能的なものなのかもしれません。もともと身体や心に部分的な欠如を感じると、それは欲求となり、例えばのどが渇いたり、寂しくて人に会いたかったりしている状況では、のどを潤す水や心に寄り添ってくれる友人によって、「満ち足りて不足のない状態」に戻ることができます。

▽私たちの日常的な欲求は、際限がありません。マズローの5段階の欲求で言えば、生命維持の欲求、安全の欲求、所属や愛情の欲求、承認の欲求…と、ころころと目まぐるしく私たちの頭の中を駆け巡っています。どんなにたくさんの欲求を満たしていたとしても、満たすことのできない欲求が1つ残ってしまうと、私たちはそれがすべてであるかのような錯覚に陥り、当たり前のように不幸な人間を演じてしまいます。

▽「吾唯足るを知る」という言葉があります。京都龍安寺の石のつくばいに彫られている言葉ですが、茶人の千利休もまた「知足安分」ということを記しています。私たちに必要なことは、まず「足るを知る」ことであり、次に「分に安(やす)んじる」ことです。つまり足りていることを自覚し、その状況を受け容れる。それができるくらいなら苦労はしない、と言われそうですが、試してみるしかありません。
① 健康でいたい
② 家族円満でありたい
③ 子供は元気に成長して欲しい
④ 仕事をうまく熟したい
⑤ スポーツをしたい
⑥ 音楽を聴きたい
⑦ 旅行にいきたい
⑧ 書斎が欲しい … 
と数え上げていくと限のない欲求なのですが、私の場合、あえて言えば8番目の書斎が欲しい、というのが切実な欲求だったりします。

▽私の書斎プロジェクトは今に始まったものではなく、もう何十年も続いています。初めは押入れの片隅にマックとキーボードを置くところから始まりましたが、現在では、寝室の北側の窓沿いの空間に、2.4m幅のデスクと書棚を置くことで賄っています。JBLのスピーカーもありますし、結婚当初を思えば夢のようですが、次第に図書が増えましたし、何とか積年の願いであるアナログ音楽のリスニング環境を作るためには、根本的に寝室からの脱出が不可欠ですが、これは実現の目途が立っていません。
 しかし一方で、そのほかの欲求が概ね充足され破綻していないことを考えると、なぜか私の書斎プロジェクトを強引に進める気にもなれず、現在に至っている次第です。私の場合は「未だ足るを知らずも、やむなく安分す」というところでしょうか…^^;。

▽「知足安分」の境地を実践することは大変だと思いますが、私は、何時も「プロセス」をたどりその存在を強く意識していることが、何より大切だと考えています。私たちはある時点の状態を「結果」として受け止めますが、一方で結果だけでは事の本質までは見え難いという実態があります。例えば財務のバランスシートは、ある時点の企業のストックを教えてくれます。しかし、本当の企業の力はそのストックを生んだ過程、つまり一定期間の収益力(PL)を見ないと確認できません。結果だけでは見えないものが、プロセスをたどることで見えてくる、よく経験することです。

▽私たちがゆたかさを考える場合も、その源泉である欲求がどのように満たされていくかという、プロセスを理解することが大切だと思います。プロセスを辿ることによって、結果の必然(起こるべくして起こった理由)にぶつかり、結果の必然はそれが意に沿わない場合であっても、私たちに小さな納得感を与えてくれます。そしてその納得感は、やがて欲求の長期的な、あるいは建設的な解決方法を導きだしてくれるかもしれません。

▽「ゆたかさ」を「基準・限度を超えて十分にあるさま、余りのあるさま」と考えるのは、やや欲張りなような気がします。私たちの欲求が際限なく続くために、何時もプラスアルファを期待してしまうのかもしれません。一方で、「満ち足りて不足のないさま、十分にあるさま」というのは、なんとも魅力的な状態に見えてしまいます。余分なものは一切なく、すっきりと充足した状態です。

▽もともと豊かさとは、「すべての人が満ち足りて不足のないさま」を表していたのかもしれません。私にとって余りであるものは、実は私のものではなく足りていない人々のもの。ゆたかさとは、これを本当の持ち主に返すことで、はじめて成立するものかもしれません。

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