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【レポート】モネ 連作の情景 原田マハさん講演会 2024/2/10

この間、突然ぴんと来た美術とか書き物ど素人オヤジが、名前だけ知ってた原田マハさんの講演会に、夜勤明けに往復6時間かけて出かけてレポートする・・という暴挙がこの記事です。偉そうに #(ハッシュタグ) つけて恐縮ですが、ある意味閲覧注意です・・。モネファンの皆さま、すみません。

◆会場
マハさんファンなのかモネファンなのか・・平均すると読書されながら開講を待つベレー帽のおしゃれな奥様方(←謎平均)・・。そこに大きなリュックとぶらさげたカメラ、頭にちょんと老眼鏡乗せなオヤジ(←私)・・。完全アウェイなはずなのに、不思議な安心感が会場に。もしや、これが印象派のオーラ? いや、マハさんファンが凝縮されたときに発生するナチュラルな空気感なのか!

アナウンスに促され、白い服のマハさん登場。
進行の若い子がカミカミしながら受賞歴のご紹介(←頑張った。緊張してたのね。私の新人時代を思い出したよー。)。

◆講演
はい、こんにちは。原田マハです。モネのためにお集まりくださりありがとうございます。私はオマケですので、笑。もう観た人は?半分くらい? 
大阪にしばらくモネがいるって、凄いこと。中之島(美術館)にあるってのが(素晴らしい)。
そして100%モネってそんなにないんです。”モネとその仲間たち” とか ”印象派コレクション” などの企画の中にモネが混じることはあるんですが。私もどれだけ100%モネが大変かわかります。(交渉などの)舞台裏、長い時間、道のりを経て今、私たちのモネが大阪中之島にあるんです(関係者の皆さま、お疲れさま)。

私、枕がいつも長いとか言われてて・・汗。私の話はあまりしないようにしますね。

タイトルの「それでもセーヌは流れている」ってのは、話の最後にわかります。オチが付いてます。

◆モネの写真

Wikipediaより
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/33/Claude_Monet_1899_Nadar.jpg/800px-Claude_Monet_1899_Nadar.jpg

1840/11/14~1926/12/5 
印象派の大家、ふさふさしたひげで”ムッシュ”という感じ。印象派やポスト印象派で長生き、大成、我が世の春を堪能した数少ない画家。長生きが珍しくて、叩かれて叩かれて世を去った苦労人が多かった。
ポスト印象派のゴッホ、ゴーギャンは生前、経済的には顧みられなかった。
ということでちゃんとした写真が残っている画家はめったにいない。
ゴッホは後ろ姿一枚しかない。こちら👇

Wikipediaより
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/10/BERNARD_Emile_et_Vincent_VAN_GOGH_%28de_dos%29_assis_au_bord_de_la_Seine_%C3%A0_Asni%C3%A8res%2C_1886.jpg

画家のサイドストーリーをたくさん知っているので(今日はそれを紹介します)。モネは長生きしたのでカメラマンのポートレートがたくさあんあったんですね。

◆”モネ”で何が浮かぶ?
睡蓮、連作?水面をクローズアップして描くスタイルですね。風景画。私はヌードを描いたことはない、と自慢げに語ったとか。セーヌ河岸、ロンドンでテムズ川などを描くうちに作品から人物だんだん消えていった。

◆どんな画家だった?
「印象・日の出」、ル・アーヴル生まれ、風景をモチーフに連作を描いた。連作はモネが初めてやり始めた。初期は絵が売れずいろいろな土地を転々とした。
ルアーブルでの青年時代、水の町で水辺の風景の中で多感な時代を過ごした。

モネlog 様 の素晴らしいブログをぜひご参照ください。

https://monetlog.blogspot.com/2013/03/blog-post_14.html

”風景ハンター”のごとく、セーヌ川沿岸を転々とし、自分の作品にしたい風景を求めてどこまでも行く画家だった。

◆クロード・モネを画家モネたらしめた出来事
1873年、第一回印象派展開催も、「印象・日の出」が酷評される・・。

批評家曰く、どこに絵があるんですか?繊細な貴婦人は気絶したという皮肉も。
しかし、人はたくさん来た。
「印象・日の出」の酷評を受けて、あえて自ら”印象派”を名乗ることにした!(←カッコいい~👏👏)

それから150年後、オルセー美術館で印象派の展覧会開催されるとは(感慨深いですね)。

モネは、その後、1878(38)ヴィトュイユに転居、そのころには新しもの好きが絵を求めるようになっていた。モネにもパトロン(エルネスト・オシュデ、デパートの経営者)がついて絵が売れた。しかしオシュデのデパートが倒産。彼は「印象・日の出」もあっさり売り飛ばした。そして家族もろともモネ家と共同生活。しばらくしてオシュデは家族を残して逃げた(!)。
モネ家は貧困となり、妻カミーユも亡くなって(次男出産後体調崩した)
お金を借りるため手紙を書いた。
1883(43)オシュデ妻のアリス、その娘たちとジベルニーに転居、のちにアリスと結婚。

◆19世紀半ば
画家を目指していた時代。そのころパリで何が起こっていたのか?
19世紀後半に向かってパリが成熟していった。
ナポレオン3世の1855年(日本は安政大地震の年)パリ大改造計画、街が今も残っている。凱旋門から放射状に道を整備するなど近代都市づくりのモデルとなった。

こちらの記事が参考になりそうです。

https://julius-caesar1958.amebaownd.com/posts/3417344/

鉄道網の発達、モノ・人の交流。
ブルジョワの台頭、マスメディア情報伝達が早くなった。
スペインのピカソ(1881年~1973年)がうわさを聞いてパリへ出かけたり、志をもった画家がパリに集まった。
新聞雑誌マスメディア発達。石板印刷(1798年にゼーネフェルダーが発明。牧野博士(1862年-1957年)が購入したのは1886年)、イラストほしいときに画家の出番となった。モネも10代のころカリカチュア(風刺絵のようなもの)をたくさん書いた(その資金でパリ行きを父に認めさせたとか!)。

ちょっとお金持った人が増えてきて一部の貴族だけでなく一般の人も絵を買えるようになってくる。

1867年パリ万博 日本ブーム、ジャポニズム(大政奉還の年) 。
(筆者メモ:徳川慶喜弟、徳川昭武が14歳で参加。琉球薩摩も独自に参加。)

記号のように丸暗記していたシーボルトにこんな形で再開するとは~。

https://artoftheworld.jp/report/1249/

激動の時代で当時のエピソード多い。
・1851年 ナポレオン3世クーデター即位(ナポレオン1世の甥、第二帝政)
・産業革命の伝播
・貿易自由化
・市民の力が強くなる

・凱旋門
・狭い路地と見通しがきく大通り
・1867年 恐慌(←大不況のことかな?)   
・1870年 普仏戦争に負けてナポレオン3世失脚

モネも作風変わった。いままでのことがうまくいかなくなり生まれ変わっていくしかない(と自覚?)。
保守的なブーグロー、カヴァネル、ジェローム等の神話画、歴史画、オリエント趣味は妄想を絵にする。筆の跡が残らない絵。依頼主が美人のヌードを欲しがった。女性の裸体画、男性目線。堂々と飾っておきたかった。

女神ならヌードでしょ。(←って私にはわからない世界線・・。なぜそうなったの~?誰が始めたの~?)
トルコのハマムで裸婦たちがお風呂にはいっている。それを服を着た誰かが連れていく・・。
モネは一度も裸婦を書いていない。

◆マネ登場
1832年-1883年。
サロン落選、裸婦さそって紳士がランチしている絵。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/fc/%C3%89douard_Manet_-_Le_D%C3%A9jeuner_sur_l%27herbe.jpg/1280px-%C3%89douard_Manet_-_Le_D%C3%A9jeuner_sur_l%27herbe.jpg

別途開催した”落選展”で人気が出た。が、けしからんってことになった。全員ヌードだったら神話になっていたのだが(めでたく怒られずに成立)。私たちは変わらなければ、そして世界を変えなければという意識がモネらにつながった。

◆モネ年表
1840 11/14に生まれる
1845 ル・アーヴル移住
1858 風景画家ブータンと出会う
1859 サロン初入選
1870 普仏戦争ロンドンに逃げる
1871 セーヌ河岸に転居
1874 「印象・日の出」発表
1887 ヴェトゥイユに転居
1881 ポワシーに転居
1883 ジヴェルニー(終の棲家)に転居

「ルーブル河岸」 1867年

https://msp.c.yimg.jp/images/v2/FUTi93tXq405grZVGgDqGzguBMw3xYZhVlw3CYlT5RGz-ROyz1PeyfBr6uNIV6Qa1AJVT7OG9kjUiiBd2lPQmVP0hhOKE0WV02xp8COfSD8uSMHC7g5DMFKnn6U4_i8e-Swd-D60IzPEzP8zffEGcZ_QmgSUGsaHV2LDwtON4DClz-yhePTOVOVPKhPTqkA6/artwork-1-1.jpg?errorImage=false

「昼食」 1868-69年

Wikipediaより
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/9e/Claude_Monet_-_The_Luncheon_-_Google_Art_Project.jpg/800px-Claude_Monet_-_The_Luncheon_-_Google_Art_Project.jpg


(このような作品だったモネに)ブーダンが外光の下で描く喜びを教えた。
そして・・。
「印象・日の出」1874年

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/59/Monet_-_Impression%2C_Sunrise.jpg/1280px-Monet_-_Impression%2C_Sunrise.jpg

「印象・日の出」は落書きと言われた。どこに絵があるの?

これまでの絵画のイメージ(筆者中:これだったかな~?)

Wikipediaよりhttps://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f6/1863_Alexandre_Cabanel_-_The_Birth_of_Venus.jpg/1920px-1863_Alexandre_Cabanel_-_The_Birth_of_Venus.jpg

(筆者中:もひとつ、こんな感じのやつ?)

Wikipediaより
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/8a/William-Adolphe_Bouguereau_%281825-1905%29_-_Young_Woman_Contemplating_Two_Embracing_Children_%281861%29.jpg/1280px-William-Adolphe_Bouguereau_%281825-1905%29_-_Young_Woman_Contemplating_Two_Embracing_Children_%281861%29.jpg

◆浮世絵の影響
エトルタのル・マンヌ・ポルトなどに歌川広重、北斎を感じる。
西洋はモチーフあるが広重にはない。逆に面白く見せようという絵師の思惑がある。手札の手のひらサイズ、縦長のスマホ構図を先取りしていた?。(写真撮るようになって構図とか面白みとか考えだして、そこからモネの画に惹かれた私には、これはよくわかるな~。マハさんスゴイ!)

Wikipediaより
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/cc/Hiroshige_Van_Gogh_1.JPG/1280px-Hiroshige_Van_Gogh_1.JPG
Wikipediaより
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e5/Fujimi_Fuji_view_field_in_the_Owari_province.jpg/1280px-Fujimi_Fuji_view_field_in_the_Owari_province.jpg

浮世絵はモノをキャラクター化していた。マンヌポルトも影響を受けた。

マンヌポルト(エトルタ)1883年

Wikipediaより
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/78/Claude_Monet_-_La_Manneporte_%28%C3%89tretat%29.jpg/1280px-Claude_Monet_-_La_Manneporte_%28%C3%89tretat%29.jpg

◆なぜ連作?
1879年冬、ヴィトュイユ大寒波でセーヌ川が凍った。
オシュデ家含め、10人の生活がモネの筆にかかった(←これも謎文化。仕事できない文化的背景あるんですかね~?)。
ある日、凍ったセーヌが流れ出したのを見たモネは筆を握って雪残るセーヌを描いた。(筆者注:それで、なぜ連作なのかの答えがメモに・・ない!しまった~滝汗。)

Wikipediaより
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/be/Claude_Monet_-_Effet_de_neige_%C3%A0_V%C3%A9theul.jpg

◆クロード・モネ通り
復元された家が残っている。
モネの庭があってスマホで撮ってみるとモネの画、そのものになる。

Wikipediaより
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f6/Giverny_2005.JPG/1280px-Giverny_2005.JPG

◆モネ最後のギフト
オランジェリー美術館の睡蓮。楕円の部屋に展示されている。没後に公開する約束だった。空、水面、藻のが映っている。

Wikipediaより
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/61/Mus%C3%A9e_de_l%27Orangerie_February_28%2C_2009.jpg/1920px-Mus%C3%A9e_de_l%27Orangerie_February_28%2C_2009.jpg

◆マハさんパリの家
「印象・日の出」のモノクロ写真(オノユージさん撮影)が飾られている。
モネの直筆手紙。1892年ジュフラー(最初にモネの才能に気づいた人)に書いた手紙、本物オークションで落札したとのこと!

◆マハさん宣伝
講演の最後の方で宣伝がありました。

「モネのあしあと」

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%A2%E3%83%8D%E3%81%AE%E3%81%82%E3%81%97%E3%81%82%E3%81%A8-%E5%B9%BB%E5%86%AC%E8%88%8E%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%8E%9F%E7%94%B0-%E3%83%9E%E3%83%8F/dp/4344430794

「ジヴェルニーの食卓」

https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B8%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%81%AE%E9%A3%9F%E5%8D%93-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%8E%9F%E7%94%B0-%E3%83%9E%E3%83%8F/dp/4087453278


「原田マハの印象派物語」

https://www.amazon.co.jp/%E5%8E%9F%E7%94%B0%E3%83%9E%E3%83%8F%E3%81%AE%E5%8D%B0%E8%B1%A1%E6%B4%BE%E7%89%A9%E8%AA%9E-%E3%81%A8%E3%82%93%E3%81%BC%E3%81%AE%E6%9C%AC-%E5%8E%9F%E7%94%B0-%E3%83%9E%E3%83%8F/dp/4106022885



「リボルバー」
”ポスト印象派物語”ってメモが残ってたのはこれかな?

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%AA%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%BC-%E5%8E%9F%E7%94%B0-%E3%83%9E%E3%83%8F/dp/4344037693



「板上に咲く」
3/6書きおろし新刊ムナカタシコウ版画家の話の書籍版https://www.gentosha.co.jp/s/bansaku/




◆モネ連作の情景 オリジナルショートストーリー:
「カーテンコール」ともうひとつは会場限定ですので足を運びましょう♪


◆おわりに
た~ぷり勉強させていただきました~。モネの人物像とか歴史背景とかマハさんのモネ愛など、濃厚な時間でした~。ありがとうございますー♪ 

さて・・いつ行こかな-。(←まだだったんかい~笑。)
ゆっくり見られる平日にいきますね~♪

おしまい。