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ぼやけた光

少し前の日記。

同居人と一緒にスーパーへ買い出しに行く。
帰る途中、重くなったマイバックを持って、公園のベンチで休憩をする。
コンタクトレンズを付けていない私の視界はぼやけている。
街中のマンションの灯り、街灯、信号、車のランプが、不明瞭に光る。

よく見ると、ぼやけていたと思われる光にも、微細な模様があることが分かってきた。
私の睫毛、蛍光灯の形などで、その模様は決まっているらしかった。

「あの光はウニのようで、中には丸い玉がぎっしり詰まっている。顕微鏡の中のボルボックスに近い見た目だ。真ん中から下の辺りに、目のような模様がある。その目がこっちを見ている。マンションの灯り全てがその形をしているので、たくさんの視線がこちらに向けられているかのようだ…」

私は同居人に、懸命に光の形について説明した。それらの光が美しく、私1人で観ているのがもったいないと感じたからだった。
しかし、同居人はあまりピンと来ないといった顔で真暗な空間を眺めていた。
多分、あのぼやけた光は私だけのものであり、誰にも共有できないのだろうと思った。

そして逆に、人と共有できる景色がこの先どれだけあるのだろうかと思った。
同じものを観ているようでいて、実は全く違うものを観ていることはいくらでもある。
私にとってのピンクが、同居人にとっての緑であったとしても、確かめる術はこの世にないのだ。

それは作品制作においてもそうなのかもしれない。
作者は作品を通して世界の見え方を鑑賞者に提示しようとする。
しかし、作品一つ取っても、鑑賞者一人一人に無限の観え方感じ方が存在する。

帰り道、私はしつこく、ぼやけた光の見え方を説明し続けた。
それは祈りのようでもあり、独り言のようでもあった。

あの街頭は、光の筋が等間隔に並んでいて、櫛のようだ………

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