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「絶望的なまでの分かりあえなさ」について(1)

記念すべきnoteへの最初の投稿だから、もうちょっとプロフィール的なあっさりしたものを書こうかとも思ったのですが、やっぱり思い直していきなりディープな投稿。facebookやtwitterは半分以上は宣伝用だと思って書いてるので、ちょっとした毒くらいは混ざってるけど、できるだけ当たり障りないことを書いてしまいがち。noteがなんなのかはまだよくわからないまま、今、7月に発表する作品づくり(”Invasion”ー 7/24(金)、26(日)夜配信予定)の流れでなんとなく始めることにしてみました。


タイトルの「絶望的なまでの分かりあえなさ」というのは、先日この「Invasion」のためのグループの中でシェアされていた記事の中の言葉。
その記事自体は、ドストエフスキーの小説の特徴である「それぞれの世界を持った複数の対等な意識が、各自の独立性を保ったまま、何らかの事件というまとまりの中に織り込まれてゆく」ということを「ポリフォニー(多声音楽)」に喩えたロシアの文芸学者/美学者のバフチンの捉え方について、ダイアローグ(対話)という切り口から論じている文章でした。

バフチンや、この論文を書いた田島先生の意図とはまたちょっとずれてしまうかもしれないのだけれど、私はこの「絶望的なまでの分かりあえなさ」というのを、自分の中のテーマの一つにしてみようと思いました。

そのことについて思いつくことをとりあえず書いてみますが、それが作品にどう生かされてくるのか、そもそも何か形になってくるものがあるのか、今は全くわかりませんが、作品づくりなんてそんなものかなと思っています。

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1,380字

2020.07.24/26に開催されたオンライン・ストリーミング・パフォーマンス"invasion"のために書いた記事です。

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