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始まるはずだった命

命について記事にすることが
多々あるけれど

命のことを考える時に
もう一つ

ここに置いてない出来事を
たびたび思い出す。



今から10年ほど前
私が20前半の時。

職場で妊婦さんがいた。


ギリギリまでその方の様子を見ていて
予定日の1週間くらい前に

「じゃあ産んでくるね!」

と元気に挨拶をして
しばしのお別れをした。




しばらく時が過ぎ
出産後にその方と顔を合わせた。

   

…ん?

何か違和感を感じた。

普通じゃない空気。


お子さんのことを聞いていいのか
聞けずにいると

その方から

「出産してすぐ体調がよくなくて、数時間したらお空に行きました」と。



言葉が出なかった。


続けてその方から

「それでも家族みんなでその子を抱けました。私には今いる子どももいるから、その子の太陽になるために笑顔でいるんです」と。


何かが心にきた感覚を
今でも覚えている。



つい最近までお腹にいた命。

順調だったはず。


目の前にあった命がなくなること。


そしてそれを乗り越えようとする姿。


なんとも表現できない。



その時20前半の私は
まだ人の死を身近に感じたことがなかった。


お葬式に出たこともない
誰かが亡くなったと耳に入る関係もなかった。


その何年後かには
上司が不慮の事故で突然なくなり

祖父も病気でなくなり

人並みには人の死を感じてきた。



それでもあの時の

お腹の膨らみとして
目の前にいた命


一般的には
産まれてくる命


何事もなく育っていたとしても
突然なくなること

いまだに思い出しては
心をうたれる。


命が当たり前じゃないとか
そんな次元じゃない気がして。



これから始まろうとしていた命。


それが目の前から消える現実。


そしてそれでも生きていく周りの人。


この感覚をどう表現できると言う。


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