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20240213日記(手術入院していた/ジャンルフィクションとポップミュージック)

 雪が降り始めた日の空の色を、白色と呼ぶか灰色と呼ぶかはその時の気分次第だな。あるいはこれが空きチャンネルのTVの色なのかもしれない。日本海側なら灰色って言っちゃうような気がするけどここは太平洋側だし。東京に雪が降りそれが溶け切るまでのあいだ、僕は手術入院していた。

 早朝にスーツケースを引いて病棟に入った時にはまだ降雪がなかったのに、スマホスタンドや物入れをベッド周りに括りつける作業を一通り終えてパジャマに着替えた頃には、窓の外の風景が一色に塗りつぶされていた。地面と空が同じ色をしていたんだから、この日の空の色はたぶん白色だったんだろう。入院中、外気に触れるタイミングは一切なく環境は一定に保たれていた。しかし視覚的には大きな窓から常に外へと開いていた。

 雪に埋もれていく景色を眺めながら、閉ざされているのに見ることができるからこそ、いま/これからの僕と、窓の外の出来事に何の関係もなくなったことがはっきりしていく感覚があった。なるほど、僕はこれから療養に専念しなければならないのだな。そう飲み込むのにはちょうど良かったのかもしれない。

 入院中に読もうと持ち込んだ本は以下の2冊だけだった。最近は電子書籍で買うことが多く、紙で買うのは人文書の類くらいで、フィクションについてはほぼiPhoneで読んでいる。だから物理書籍はあまり持ち込まなかった。

▲山田風太郎『警視庁草紙』上下巻


 筑摩書房から出ている「山田風太郎明治小説全集」全14巻のうち1巻目と2巻目。97年にまとめられた全集で、僕は2010年の復刊時に箱入りの全巻セットを買った。

 他人と一緒にいない時間のほとんどを活字を読んで過ごしているし、文字の印刷された紙で未読のものは家の中には基本的にない。けれどこの全集だけは例外として、玄関に入って最初に目につく場所にずっと置いてある。

 当時、もしも家の外の世界が急に終わってしまった時に、冷凍してあるドミノピザの余りを解凍して食べながら読む絶対に面白い未読の本を何か常備しておきたいなと思っていた。たまたまそのタイミングで復刊したので、山田風太郎ならいつ読んでも面白いだろうと収録作も調べずに購入した覚えがある。

 山田風太郎と言えば、紹介状を持ってこの病院を訪れた初診時に、ふとタイトルが思い浮かんだ一冊があった。再読しようと自室の本棚を探ったが、発見できずに電子書籍で買い直して年末に読んだ。とにかく不養生だった山風が珍しく精密検査を受けたら思ったより重病で数十年ぶりに入院した話は、あんまり他人事の気分では読めなかった。千回よりはもう少し多く今後の飯の機会があって欲しいもんである。

 手術は入院日から2日後で、食事を抜いて手術準備をするだけの特に何もない1日があった。その日に短編連作『警視庁草紙』の1本目「明治牡丹燈籠」を読んだ。

 この物語は、明治6年の政変で失脚し東京を密かに去ろうとしていた西郷隆盛と、西郷の出奔を察知し隠れて護衛していた川路利良、後に西南戦争を引き起こした直接の契機となる作戦を政府側に立って実行し、西郷を死へと追いやる初代大警視(現在の警視総監)の路上での会話から始まる。梶原一騎なら秘話と言い、一般的には時代伝奇と呼ばれる、薩摩出身の二人にまつわる、なかったとは言い切れないが存在もしないエピソードが書かれていた。

 当然史実からどのように跳躍していくかを理解して読んだ方が楽しいし、普段なら作中に出てくる日付と人名は全てノートに書き出し実在非実在の確認をしながら読んでいくことになる。僕は歴史上の人間のマップが頭の中に全然ないので、調べながら読んだら短編1本を手術前に読み終えられないなと思い、とりあえずは殆ど何も調べずに書き出しの作業だけを行いつつ、単発の事件ものとして通読することにした。

 登場するのは先述の西郷と川路に加え、密室殺人事件の発見者かつ容疑者となった落語家の三遊亭円朝。たまたま居合わせその事件を調べる事になった警察官で川路利良の部下でもある2人。事件の真相を知る人物と円朝からそれぞれ相談を持ち込まれて、なんとか丸く納めようと立ち回る楽隠居中の半七親分とその仲間たち。最後には警察官の藤田五郎がちらっと顔見せをしたりして、短編にしては多すぎる登場人物とその豪華さ、そして事件に決着をつける為に演じられた円朝の新作怪談「牡丹燈籠」という形で再び史実の世界への帰ってくる構成のまとまりに面白さがあった。まあアベンジャーズ的な趣向の小品かなくらいの感想で、続きは手術後に読む事にした。

 治療の対象箇所以外は至って健康なので、当日、手術室には自分で歩いて向かった。朝9時にたどり着いた室内には多腕ロボが待ち構えていた。ロボット支援下手術だとは聞いていたけれど、思った以上に見た目がロボなので、俺はこいつに何をされるんだろうと思っている間に麻酔が効いて意識を失った。何をされたのかは全くわからなかった。ビデオを撮って後で渡してもらえるオプションとか頼んだらつけられたりしないだろうか。

 手術後に本は読めなかった。術後すぐに病棟へと戻され、身体には小水を排水するカテーテル、腹腔から排水するドレン、減った分を給水する点滴の管が繋がれていたが、センサ類は何もつかなかった。僕の状態は電子カルテに記入され、医師、技師、薬剤師、看護師の全てに共有されて異常があれば即時対応してもらえるけれど、その異常を最初に感覚して言語に起こす作業は僕本人の感覚と、定期的な検温、血圧測定、酸素量測定、排水量の記録(これも自分で取る)にかかっていた。僕はモニタリング装置のひとつとして病院のシステムに取り込まれていた。多腕ロボに何をされたのかが、この時わかった。

 もちろん術後の発熱などもあったが、しんどくて読めないとか以前に、全興味が自分の身体のみに向かっている状態になっていて、ある程度落ち着いてからもSNSすら殆ど見なかった。この時の精神状態は家の中に赤ん坊がいる時に似たものだった。赤ちゃんが好きなんですねとよく言われるのですが、好きなんじゃなくて、視界に子供がいると全興味がそこに向くチャンネルに切り替わっているだけなんだよ。言語でアラート上げない赤ん坊が一緒にいたら、当然ずっと見ていてしまうし、そのことによって自分が何かやるべきことややりたいことをできてない状態に置かれたとは全く思わない。全興味を持って見ているから。好きと好奇心を同じものとして扱わない分別は僕にもあるよ。

 そんな状態が術後2日半は続いた。幸いにも回復の早い術式が選択されたので、術後4日で身体に繋がっていた管も全て抜けた。より重要な臓器を失った場合はこれが数週間、数ヶ月と続くのだろう。じっと過ごすだけの時間に音楽を聴こうと買ったモニタリングイヤホンは、ほぼ耳栓としてしか使っていなかった。

▲SENNHEISER IE100PRO

 短期入院だから思ったより使わなかったけど、買って良かったと思う。モニタイヤホンなので音量を小さくしてもそれぞれの音が分離してきちんと再生されるのが静かな病院内で使うのには良かった。一方、密閉性が高く、取り外すのが手間なので、医師の回診や看護師が様子を見に来た際に、気づくまでと外すまでの2回待たせることになるのはあまり良くなかった。

どきどきしてるこのハート うちぬけ君の胸にGunshot

RYUTist「君の胸に、Gunshot」

 入院前に聴いたことがなかった音源で、外部への興味を取り戻した後に最初に聴いたのは、RYUTist「君の胸に、Gunshot」だった。7577で歌詞がループし、ビートがループする、今ここに踊る理由があるぞ! と謎の嬉しさに包まれ、ベッドの横で左右の足にゆらゆらと体重を移しながら踊った。病棟は静かすぎて自分の心臓以外のビートがマジで拾えないので、本当に胸を打たれたような気持ちになった。

眠れない夜はいつも聞こえるの
秒針の先が優しく振れる音
夜の薄明かり照らされる部屋に
色が混ざり合うような吐息が漏れた

何年たってもずっと変わらないもの
なんてないのだと突然に知ったの
交わした言葉もこの手の温度も
今日はいつの日か思い出になる

駆け抜けて行く春の風が
置いてかれないように後を追いかけた
いつか僕らは大人になるから
消えないよう忘れないように
ほらゆびきりしよう

RYUTist「春にゆびきり」

 RYUTistだとこの曲もよく聴いた。入院中に響く曲だとはこれまで思っていなかった。アイドルソングはポップミュージックで、ポピュラーとは全てのあなたの為に響くという意味だけど、それがいつかは指定されていないので思いもよらぬ時に響きだす。けれどその為には既に聴いている必要がある。乃々子さんがいるうちにもう一回観に行きたかったな。初めてRYUTistを観た2012年から、2019年まではタイミングを見つけて毎年新潟までライブを観に行っていたのに、2020年以降、配信映像でしか観れていない。古町どんどんにもまた行きたい。

 『警視庁草紙』の2本目「黒暗淵(やみわだ)の警視庁」を読んだ。抜群に面白かった。1本目では殆ど顔出しや名前出しだけだった大量の登場人物に、未だ書かれていない奥行きが存在することを確信させる描写に溢れていて、いま持ってる明治の知識だけで一旦読み進めていいんだなという安心感がある。山田風太郎が偉いのは、面白い比喩や面白い構図を史実と作品の間に挿入した時に、こいつは面白いんだぜと読者におおかたを説明してくれるところだ。気づいた人だけが楽しいみたいなことがそんなになくて、滅法ワクワクしながら読んでいられる。

 上巻を読み進める。収録されている9本の連作短編は、やはりどれも面白い。山田風太郎はこの作品で、史料の一節を膨らませたりあるいは架空の史料をあたかも存在するかのように書くようなスタイルはとっていない。明治を生きた、ありとあらゆる実在人物達の年表上確認できる時空間の座標を把握した上で、そんな史料は一切どこにも無いが、無いからこそ、架空の明治でその日その場所にいた可能性だけは否定できない実在人物達の邂逅を、魅力的なオリキャラ達を媒介にして発生させていく。そうやって用意されたシーンを描写する筆致は、最新の週刊少年漫画を読んでいるかのようなスピード感と鋭さを持っている。

 読み味としては、関川夏央と谷口ジローによる同じく明治を舞台とした漫画『『ぼっちゃん』の時代』ともよく似ているなと、転倒した感想を抱いた。なるほど『『坊ちゃん』の時代』は関川夏央なりの山風明治物だったんだな。解説に書いてあったような気もするけど、やっぱり自分で読んでそう感じたほうが楽しいよね。

 上巻を読み終わったのは退院前日だった。もう下巻を読む時間はない。でもまあ近いうちに読むだろう。

 ジャンルフィクションとポップミュージックのファンとしての生は、僕にとってはとにかく大量に読み、大量に聴くことからしか発生しない。いつ響き出すかわからないのなら、あらかじめ読んでおくしかないし、聴いておくしかない。10代後半から20代の頭にかけて、とにかく聴け見ろ読め書けという意味を持って響いてきたのは細野晴臣と伊藤計劃で、未だその残響音を聴きながら生きている。

 しかし手術入院をすると、普段よりも死に近づいている自身の身体、圧倒的な好奇心の対象を前にして全てが停止することを、今回身をもって知った。外的要因で簡単に変容する身体感覚によって操作されうる精神は、愛ではなく好奇心であるという確信が得られたのは、僕にとっては大きな収穫だった。もし子供ができた時、僕は停止し客観的に無趣味な人間になるのか、愛をもって見る対象として好奇心の外部に置くのかについてはわからないし、予定もないのでいまは保留しておく。

いま声が呼んだ 僕と夜に迷うものすべて
照らしていく次の朝へ
この歌はいつか 僕と夜に迷うものたちの標になる
すぐには見えなくても

RYUTist「しるし」

 山田風太郎明治小説全集も、残しておかないで全部読んじゃおう。世界が滅ぶ日に読む本はその時になったら勝手に響いてくるよきっと。そんなタイミングで読むものは、面白い本ではなく好きな本であるべきだろうし。そのような気持ちで、主治医からの退院許可の言葉を僕は聞いた。


 読み物としてはこれで終わり。以降は自分用の記録として、入院中の献立が記録してあります。読んでもらいたいのはここより前までなので、見舞いのつもりで買っていただいてもいいし読んでも読まなくてもいいです。

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