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「lyrical school oneman live 2020 PLAYBACK SUMMER」(変幻するアイドルと、いまここのフロアで出会い直すオタクのダンス)

上半身のカルチャー/下半身のカルチャー

 深夜のクラブに入場し、ダンスフロアに立ち、DJが流す音楽に合わせて踊る時、ダンサーではない僕たちは下半身だけで踊る。片手にお酒の入ったカップを持っているからとか、酔っ払いが手を振り回すと危ないからなんて、みもふたもない理由もあるけれど、いちばんの理由は、その人のダンスの素養に関係なく、四つ打ちのベース音に合わせて左右交互に足踏みするだけ、足を揃えてピョンピョン跳ぶだけでも参加できるのがクラブのダンスだからだ。友人は足だけで参加できるクラブのダンスを称して「タコ踊り」と言っていた。顔も見えないほど暗いフロアで、偶然出会った貴方と、いまここで同じ気持ちでいるという共感を伝える。たったひとつの冴えたやりかたがステップを踏むことで、クラバーのダンスは夜の文化/下半身のカルチャーだと言うこともできる。

 ダンサーではない僕たちの間に流通するもうひとつのダンスがある。それらのダンスは総称して、広義の「オタ芸」と呼ばれる。サイリウムダンスという、様式化されオタク自らが演者となる形式も、youtuberやダンスチームの手によって上げられた多数の動画で確認することができるがそれは例外にあたる。基本的には、アイドルや声優のファン、いわゆるオタクが行う、手に持ったペンライトを曲に合わせて振ったり、音に合わせてクラップしたり、演者の手振りを真似る「振りコピ」を行ったり、謎の身振りを行いながらバイバーシャウトと呼ばれる任意の単語をリズムに合わせて叫ぶ行為を連続して行う「MIX」などのことを指す。

 これらのオタ芸の共通点は下半身が完全に固定された動きとなることで、座席に座ってライブを見たり、ライブハウスに限界まで詰め込まれてライブを見たりするという環境要因がまずある。貴方の隣まで行けるクラブのフロアと違って、身動きのとれない僕らは、上半身で踊らなければ、いまここで貴方から楽しさを受け取っているということを表現できない。指差しが含まれた振り付けを振りコピしていたら、指先と指先、目と目が合って、ステージとのディスタンスを忘れて僕たちと貴方の共感を確信してしまったりする。どんなに遅くても終電前には帰るオタクのダンスは、昼の文化/上半身のカルチャーだ。

 上半身と下半身のダンス、昼と夜に分断されたそれらが出会うフロアが存在する。2000年代に入ってから生まれ、AKB48、ももいろクローバーを通過した2010年代に隆盛し、ライブアイドル/地下アイドル/グループアイドルなどそこで活動する演者を細分化するさまざまな呼称が考えられてきたが統一された言葉が生まれず、便宜上もっと広い意味を持ってしまう言葉でいまだに呼ばれている場所、すなわち「アイドル現場」がそれである。

 アイドル現場はとにかく数が多い。ありとあらゆるイベントスペースで行われており、アイドルが踊るためのステージとオケを流せる音響設備さえあれば、ライブハウスやホールに限らずあらゆる場所がアイドル現場となる。その中には当然クラブも含まれる。また、イベント本数が多すぎるため、出演者より観客のほうが多ければそれなりにイベント成功かな、くらいまで客席の過疎化が進んだ。

 その結果、あまりに広い観客席は、オタクの下半身を固定できなくなった。

 実際に、終電後の東京で小さなクラブを巡ったことがあればわかるが、フロアに誰もいなかったり、身内数人しかいないのは、珍しいどころかむしろよくあることだ。大きな音が鳴るパーティさえあれば良い、という観点に立てば、広々としたアイドル現場と、クラブのダンスフロアはほとんど同じものだということが発見されたのが2010年代だった。これには前史として、ハロプロや、perfumeの曲をフィーチャーしたクラブイベントが定期的に行われていたことも影響している。上半身のダンスと下半身のダンスは、それぞれのオタクの身体の中で出会ったり、あるいは出会わなかったりしながら、現代のアイドル文化の熱狂を形作る大きな要素のひとつとなった。

*なお、このnoteはライブハウスでバンドを見て育ったタイプのオタクや、2010年代後半のラウド系アイドル、あとはWACK系とかかな、そのあたりをフォローできていないです。舞台上のバンドが位置を動かない(動いてくれれば、自分が動かなくても視界に入るタイミングがある)から、自分で動くという文化なんだと思う。たしかシドヴィシャスがそんなことを言ってた。ライブ中にうろうろするのはマナーがよくない……? パンクスにマナーを説くんですか……? もちろん、ダンサーを置くDragon Ashや、楽器を置くゴールデンボンバーのような、バンドでもステージ上に動きを作る例外はいくらでもあります。ステージを見させるバンド形態って意味ではビジュアル系の正統なんだな、金爆。

 ポゴダンスは上半身なの? 下半身なの? と言われたら難しいし、ウインドミルは両手両足使ってるだろ! と言われたらうんとしか言えない。どっちもここまでの話とは逆に、踊る隙間のないフロアで踊るためのダンスなんだよな。2012年頃のアイドルシーンで活動した時期の「ライムベリー」が、エロゲライター、ライトノベル作家である桑島由一のプロデュースの下、2次元文化と90年代日本語ラップの引用を行うコンセプトでありながら、前身となったMOE-K-MCZとは異なりメンバーが13,4歳の少女であるアナーキーさによって、フロアのレベルではヒップホップではなくパンクとして受容されていたということを、僕は書き残さないとならない(当時はそういう話してたけど完全に忘れてたので、今回のnoteの筋ではライムベリーの話できねえじゃん! とここまで書いたところで気づいてびっくりした)。当時ヒップホップとして受容しようとした客層と、いつも見に行ってる層との間で微妙なすれ違いがあったことを、いま思い出して懐かしくなりました。同じフロアで踊ってて伝わんない相手に言葉で説明してもわかんないよ、という空気がわりとあったので当時は言葉にしなかったけど、8年経ったいまは言葉にする価値を感じているので、僕は書いているし、また書きます。あの頃僕たちは沈黙した。それはメンバーと文化に迷惑をかけない為だったけど、あの頃の中学生がみんな成人したいまなら書きはじめられる気がする。ところでnoteで書くと脚注の置き方に困るからこんな書き方で文体を変えてくしかなくなっちゃうね。はてな記法が懐かしい。(())って書いとけばみんな勝手に読み替えてくれないかな。

20200919 lyrical school 「lyrical school oneman live 2020 PLAYBACK SUMMER」

 アイドル現場とダンスフロアが出会ったこのディケイドを駆け抜けた、今年活動10周年を迎えるラップアイドルユニット「lyrical school」の、2020年度の状況に対応した2度目のライブを、よみうりランド日テレらんらんホールで観てきました。

 tengal6としてスタートしてから改名やレーベル移籍など色々な出来事があった10年、ラップ表現を軸にその時の最新の音をアイドル現場にお届けしてきたリリスク。僕はその最初の頃、TOKYO IDOL FESTIVALにマルチネのTシャツを着ていくしゃらくさい人間だったので、2011年のシングル「プチャヘンザ!」以降のライブを時々見てはいました。しかし、当時は同じくラップをコンセプトとしたライムベリーの熱烈なファンで、2012年9月の新宿MARZで開催された「ライムベリー×lyrical school 2マン アイドルラップナイト」がラップというくくりだけで単純に行われ、フロアを融和させる為のイベントコンセプトの提示がまったく行われなかったことに対し、リリスクはまったくわるくないんだけどリリスクのフロアに対して微妙に苦手意識がついてしまい、再び強い興味が持てるようになったのは、ここ2年、現在のメンバー構成になってしばらく経ったあとからです。この時の反省がライムベリー×いずこねこ2マンでどう活かされたかの話はする? また今度にします。結局フロアの自主と個人の人間関係、会場が新宿MARZよりはるかに広い鶯谷キネマ倶楽部だったことによってしか達成されなかったとは書いておきます。

 クラバーとオタク、パンクスとオタクは親和性があるけど、クラバーとパンクス、個人のスタンスとしての行き来はともかく、誰でも踊れるようにするためのダンスとどこでも踊れるようにするためのダンスを同じ空間にギチギチに詰め込むのはどちらにとっても不幸な出来事だったよね。もっと広い会場なら何の問題も無かったという言い方もできる。両方のファンと、両方を一度は見てみたかった人たちが集まっちゃうのは仕方ないもんな。

 個人的にはいろんな楽しい思い出もあったイベントではある。ひめちゃんは共演できて喜んでたし。行ってみたら楽しい、アイドル文化そのものが楽しいという理由でお客の側がイベント企画、制作のずさんさを見逃してきすぎた10年だったという振り返りにはなって、これ以上書くと赤坂GENKI劇場について3万字くらい書く羽目になるのでやめます。

 いま思うと、ダンスチーム梅棒の協力を受けたダンス表現が、ラップと二本柱と言っていいレベルになっていた時期のリリスクをちゃんと見ようとしなかったことは、本当にもったいないことをしたとは思っているし、これから映像でもいいから見返していこうとも思っているんだけど、とりあえず現時点で見ていないものはしょうがない。いまの話をします。

 いまの5人はとにかくバランスがいい。ソロシンガーとしての活動や他アーティスト作品への客演も行い、シンガーとしてのアイドル像をリリスクに呼び込むminanさん。留学経験もあるダンス技術を端々で見せつけるパフォーマンスで、ダンサーとしてのアイドル像をリリスクに呼び込むrisanoさん。秋元系アイドルのオーディション参加経験もあり、アイドルに対する憧れによって生まれたこの10年のアイドル像をリリスクに呼び込むhinakoさん。声質の可愛さと本人の映画鑑賞趣味を源泉として、アイドル的な意味ではないオタク系文脈や各種カルチャーからの引用の面白さをリリスクの表現に呼び込むyuuさん。これリリスクを積極的には追いかけてこなかった僕が書いてもいいかわかんなくて不安なんだけど、yuuちゃんの髪型、特徴的な声質であることって、リリスクの歴史性を引き受けている面があるよね? 

 himeちゃんは、子供向けバラエティ番組「ピラメキーノ」等に出演(同時期の出演者は斎藤飛鳥、春名風花など)した子役時代を経て、usa☆usa少女倶楽部のメンバーとして2011年にアイドルのキャリアをスタートし、その年のうちに派生ユニットのライムベリーとして活動を開始、2013年の活動休止を経て2014年に活動再開、その後脱退し2015年末にリリスクに加入した。リリスクとしての活動初期は、とにかくかわいい、アイドルっぽさをおそらく引き受けようとしていたことが、2016年のアルバム「guidebook」を聞き返してみても感じる。現在その役割を他のメンバーが主に行うようになった結果、himeちゃんは彼女が敬愛するラッパーを模してか、ライブ中サングラスをかけるようになった。大元のユニットコンセプトではあったが最近はそこまで強く発信されては来なかったヒップホップの文脈を、その身振りと彼女が愛するラップ表現によってリリスクに呼び込んでいる。かつてヒップホップアイドルユニットを名乗ったリリスクは、現在はアイドルラップを標榜しており、ヒップホップ四大要素はhimeちゃんによる引用的表現を多分に含むラップと、各自のダンスのバックボーン、ライブを支えるバックDJの存在、配信時に表示される曲名のグラフィック、あるいはチェキへのサインという形で行われるタギングによって確保されている。現在の彼女たち自体は、純粋に「ラップ表現を行うアイドル」として振舞っている。ライブの話が始まらないね。このあたりで移ります。


 1曲目「常夏リターン」始まったとき、僕たちは下半身だけで踊っていた。リリスクの現場にペンライトを持つ文化はあんまりないし、会場は真っ暗、ステージも薄暗い照明。現在の状況に対応して1席ずつ間隔を開けてた結果、ある意味快適になったフロア。暑苦しい上半身のダンスをする理由がない。リリスクも手振りは抑えめで、淡々としたラップを行う。ゆっくり、しかし止まることなくステージを歩くリリスクと僕たちは、緩い共感で結ばれて踊る。

 2曲目「YABAINATSU」打って変わって、ヒップホップの手振りを行いながら、はっきりとした発声のラップを行うリリスク。いまここがYABAINATSUと宣言する楽曲。暗いフロアで踊っていたらうっかり忘れていたけど、僕たちはこの夏いちばん楽しい時間が過ごせると信じて現場にやってきたことを思い出し、たまにこぶしを突き上げてみたりする。

 3曲目「ドゥワチャライク」いっしょに好きなことしようぜ! というrisanoの言葉から始まる。英語と日本語を自由に行き来するrisanoの言語感覚が、僕たちの言葉を受け取るタイミングに与える影響は、実のところかなりデカい。僕たちがいまやりたいこと。決まってる。ダンスだ。いまの状況で好きなことをしてもいいのか、ここまで若干遠慮がちにしていたフロアがそれぞれのやり方で踊りだす。

 4曲目「FRESH!!!」サビが覚えやすい全員ユニゾンのダンスで、全力で振りコピできる。フロアがをオタクとして踊りだすと同時に、リリスクの発声とダンスもかなり可愛さ寄りでアイドルとしての振舞いになる。アイドルとオタクとして踊れる曲なのがほんとうに楽しい。

 5曲目「LOVE TOGETHER RAP」アニメ「パラッパラッパー」のオープニングとして有名な曲のカバー。リリックはリリスクオリジナル。曲も歌詞も引用にあふれラップ表現におけるその面白さを教えてくれるこの曲のサビでは、リリスクの手振りに合わせてフロアも左右に手を振る。一見上半身のダンスなんだけどこの動きって結構面白くて、演者と鏡映しに手を振ると演者と同じ方向への重心移動、すなわちクラブのダンスステップになるし、演者と同じ側の腕を振ると、手振りの真似である振りコピ、つまりオタ芸になる。どちらかといえば下半身のカルチャー寄りであるリリスクのフロアは、鏡映しの動きがほとんどだ。

 しかし、曲の後半でそのバランスは激変する。hinakoの呼びかけに従って指でLOVEを形作り、その手をステージに向かって突き出すことになるのだが、文字は相手に読ませるものなので、鏡映しでは成立しないのだ。さきほどまで下半身のカルチャーに従って踊っていた僕らの身体は、その瞬間上半身のカルチャーに支配される。さらにはhinakoの急な無茶ぶりで、じゃあ両手でやってみて! 次は全身で! と言われぎこちなく対応したら、みんなうけるーとまで言われてしまう。知ってるよ! この時リリスクと僕らは、ライブが始まったときの緩い共感からはずいぶん遠いところにいる。うける―と言っているhinakoは、100%確実に僕たちのダンスを見ている。見えるのか見えないのか分からない薄暗いフロアでの下半身でのダンスと共感からスタートしたライブは、上半身のダンスを経由し、全身のダンスの体験として、共感どころではなく積極的にリリスクと共有されている。

 ここまで書いたように、リリスクのライブは、フロアをいかに暖め踊らせていくかということに非常に自覚的だ。これはDJとクラブの文化から考えれば当然ではある。しかし、クラブのダンスとオタクのダンスの両者を認識し、それらが観客の身体に合流した状態で行われる、全身で踊ろうよという提案は、アイドル現場だからこそ生まれるもののように思う。

 全身で踊るのは難しい。イメージと実際の動きを一致させることはダンサーの身体を持っていなければ不可能であり、動かしたい場所だけを動かすアイソレーションにはそれなりの訓練がいる。でも、ダンサーではない僕たちも、全身で踊る方法は持っている。上半身のオタクのダンスと、下半身のクラブのダンスは、別に同時にやってもよかったのだ。僕たちのできるダンスを行うだけで、全身で踊ることができる。こういう提案を素直に受け取る気持ちになるのはやっぱりアイドル現場だからで、ここがアイドル現場なのはリリスクがアイドルだからだ。

 アイドルという言葉は特定の表現形態を現した言葉として使うにはあいまいすぎる。だからここではリリスクにとってのアイドルとは何なのかに限定する。ひめちゃんの言葉を引用する。

 各メンバーがリリスクに呼び込んでいるものについては先に書いたが、実際のステージングでは、それぞれが自分の得意なことだけを担当するわけではない。ライブ全体の構成と各楽曲の要請に応じて、高度に、そして自由自在にあらゆる姿を見せてくれることで、彼女たちはシンガーでもダンサーでもヒップホップクルーでもなく、それらすべてであるアイドルとして表現を行う。それぞれの表現を行う身体は同じ状態にあるものではない。けれどそれを彼女たちが即座に切り替えることができるのは、彼女たちが「ラップ表現を行うアイドル」だからだ。

 普通の歌唱とラップの最大の違いは、歌唱は言葉の意味がとれることが必ずしも要請されないのに対し、ラップは何を言っているのかスムーズに観客に伝わらないと表現として成立しない点だ。人間は普通に喋ると意外と噛む。スムーズに言葉を伝えるための発声は、そのスムーズさとはうらはらに自然なものではなく、ダンサーのアイソレーションと同じく訓練と、ラッパーの身体が必要とされる。その身体から発せられた言葉は一種の演劇性を帯びる。結果、リリスクは発声を行った瞬間その曲に合わせたアイドル像を身体へと呼び込み、自身の身体を切り替えることに成功している。

 だから、1曲の中でも発声のたびにアイドルとヒップホップを行き来するhimeちゃんの表現のダイナミクスを、僕はわくわくしながら受け取ることができている。いつかはアイドルではない何者かになるんだろうと僕が勝手に思いながら見ていた14歳のひめちゃんは、アイドルであることによって何者にでもなれる表現者として、22歳の今もステージに立ってくれてる。僕はひめちゃんが表現してくれる全部のものが好きだったんだなと、最初からわかってたのに自分自身にすらうまく伝わらず、気づいてもすぐ忘れちゃう感情に出会い直したのは、今年8月のライブで久々にひめちゃんのラップを聴いた時で、初めて渋谷DESEOのステージで見たときから8年以上も経っている。

 2013年初頭、赤坂GENKI劇場で共演する他のアイドルさん複数から、ひめちゃんへの憧れの言葉をよく聞いた。ライムベリーのひめちゃんは、ファンが評価する以上にアイドルから評価されていて、たしかにひめちゃんはカッコいいけど、なんでアイドルからロールモデルとまでされているのかは正直よくわかってなかった。でもいまのひめちゃんを見ているとわかる。ラップ表現をするひめちゃんが発する、アイドルは何者にでもなれるというメッセージを、同じアイドルさん達は僕たちより敏感に受け取っていたのだ。当時ひめちゃんの表現がだいたい理解できてるような気分でいた自分が恥ずかしくなる。ひめちゃんは当時から好きだったリリスクに自分自身が加入し、ダンスとラップのスキルをいまでも見せつけてくれている。

 現在過去未来、かつてライムベリーのひめちゃんを好きだったように、いまのひめちゃんが所属するリリスクが表現するものがこんなに楽しいように、いつか見るひめちゃんのことも好きなんだろうなといま気づけて、これが未来と今を繋ぐパーティってやつだったのかと今更納得してます。

 10曲目「Tokyo Burning」10年近いキャリアを通して、ひめちゃんの歌唱表現のほとんどはラップの形をとり、ここまでスローテンポでメロディのある歌唱をするところを見る機会って実は全然なかった。usa☆usa少女倶楽部では場合によってはマイクすら持たず、ダンス表現を行う人としてステージに立っていた。齋藤里佳子さんの作った振り付けに両手別の手振りがあったこと、マイク持ってるライブでは気づかなかったから初めてそのスタイルでライブ見た時びっくりしたもんな。ひめちゃんのソロ歌唱から始まるこの曲を音源で初めて聴いたとき、まだ新しいこと見れるの! 嬉しい~という喜びがありました。リリスクにしては珍しく冬の曲なのも良いよね。音源はかなり素直な歌い方に聞こえてるんだけど、ライブでは全力のレスタイムにしたり抑えた歌い方するところも好きです。

 言葉が大切なラップ表現を行っているアイドルについて書いているのに、ここまでほとんど詞について触れていない。なぜかというと、それはあまりに私的な僕の体験だからだ。

 フロアに立ち、空間を共有している僕たちに伝わるよう、丁寧に発声されるラップの言葉は、音源で聴いたときとはまるで違う意味を持って響く。曲全体としてだけでなく、単語一つ単位でも、まるで演劇の中で発せられた劇的なセリフのように、忘れられない、ついつい日常会話で引用しちゃうような、心に刻まれた言葉になる。ラップ表現を行うアイドルを見るのはそういう体験で、1回だって見逃したくなくなるということを、8年前の僕は知っていたのに、いまのメンバーによるリリスクのライブのフロアで踊り始めるまですっかり忘れていた。なによりそこにはひめちゃんが立っている。

 いまのひめちゃんをみるのは昔と同じように楽しい。リリスクのライブはフロアを躍らせるために本当に考えられている。過去と現在。上半身と下半身。ひめちゃんをお酒飲んだ状態で見たことが数回しかないオタクである僕と、終電無くしてクラブで泥酔する僕。僕たちと貴方たち、全部が一体感を取り戻すことができるいまのリリスクのフロアは、それが失われそうになったこの夏が嘘みたいに心地良い。だからいつか、ここでまたみんなと踊りたい。

 いまのリリスクは、ライムベリーとは別に似てなくて、どっちかと言えばメンバー個々のスキルの高さとそのばらつき方はusa☆usa少女倶楽部っぽい。ひめちゃんが好きで四ツ谷Live inn Magicに通い始め、ソロやユニットや全体でのパフォーマンスを見ていたら、気づくと全員をめっちゃ好きになってた時とほとんど同じ気持ちで、いまリリスクのライブを見ている。usa☆usaが赤坂GENKI劇場での主催ライブは全てUstreamで無料リアルタイム配信してたこととか、主催ライブの映像を毎回DVD-Rで売ってたことってそういや知られてたのかな。リリスクの物販で売られてた配信視聴チケットを見て思い出した。

 12曲目「Bring the noise」今年出た曲で、音源で聴いたときとライブで見た印象が全然違う曲筆頭。いまは大好きな曲。ほんとに私的な理由だから書かないけど!

 16曲目「シャープペンシル」シャープペンシルをノックする動きを振りコピする時、ぼくは左利きだし意味を拾って左手やるか、動きを拾って右手でやるかしばらく悩んで、そんなんどうでもいいやんけ両手でやって踊れー! という気持ちになるので楽しい。答えのないことばかり考えてしまうタイプの人間も、表現から直接イメージを受け取るタイプの人間も、結局音に合わせて全く同じタイミングで踊り出すのが、ダンスフロアのいちばんいいところだ。言葉にするより同期が早いコミュニケーションが存在する世界のことを大好きになれる。

 特定のどの曲ってパッと言えないけど、目の前にrisanoさんがいる時、彼女のダンスのタイミングを拾って踊るのが好きです。身体の動きは真似しきれなくても、踊りのタイミングのお手本が目の前にいてくれると、タコ踊りでもオタ芸でもないダンスの世界の入り口に自分が立ったような気持ちになれます。

 クラブで曲と自分の関係を育てるのは自分自身だけど、リリスクのライブはそこにアイドルがいて、ラップの言葉が曲と僕の関係を毎回あたらしく生んでくれる。このトラック好みから外れているから踊んなくてもいいかなという気持ちに一瞬もならない。いまDJが回してる曲で踊る理由が、常に発見されていく。その日によって印象に残る曲も、印象に残る言葉も全然違う。ここまで触れてこなかった曲も今まで触れてきた曲と同様に、その曲で踊る理由があるんだけど、言葉にするより早く踊り始めちゃったから書いていないだけだ。

 リリスクのライブ、今回それを締めくくったのはアンコール、MCを挟んだ後の23曲目「秒で終わる夏」。yuuちゃんのグラビア企画、投票の協力しなきゃ。タイトル見ただけで意味が3つくらい立ち上がるこの曲で、夕方早い時間でライブが終わってしまうのは本当に寂しい。なんで終わっちゃうんだろう。朝まで踊っていたい。いつもなら適当に飲んでからクラブ行くのにな。この前久々に行ったけど、やっぱりしばらくはやめといたほうがいいかな。椅子でディスタンスが保たれて天井が高い会場にしかいまは行きたくない。

 この夏は二度と来ないと歌い上げるminanさんを見ながら去年の12月、この冬の始まりの時期に見たminanさんのバースデーソロライブのことを思い出してた。佇まいがカッコよすぎるminanさんの歌をたくさん聞ける機会、ちょっと行きたいなと当日迷ってるツイートしたら、minanさんから来なよとリプが来て、ちょろいのでプレゼント買って飛んでいった、まだそういうことが可能だった時期。minanさんの選曲めっちゃ同世代感ある! って勝手な共感があったんだけど、カプチーノが椎名林檎の曲という認識のMCを聞いて、あっうちの弟と同い年だったわ勝手に同世代だと思ってすまんという気持ちになったのを覚えてる。

 何百回も見たライムベリーのライブをだいたい覚えてるように、この夏見た2回のリリスクのライブのことも僕はずっと覚えてるんだろう。それが3回4回と続いていく、そんな夏がまた来ることを信じて、このあたりで終わりにします。ダンスって楽しいね。チアリーディングとヒップホップダンスからスタートしたひめちゃんのダンス表現と、ひめちゃんが愛するラップ表現の、いまを見られる場所が存在すること、それがアイドルの現在についてトップレベルに自覚的でそのことを表現として伝えてくれる、安心して踊れるフロアを用意しようとしてくれるリリスクで幸せです。



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