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煮豆か、カレーか

 米食文化のある国には、米を大量に食べる為のしょっぱい豆のスープがだいたい存在する。インドにもスリランカにもネパールにもパキスタンにもバングラディシュにもあるそのスープは、大まかにはカレーに属し、メニューにはダルと紹介されている。ダルは豆を意味するので、つまり固有の料理名はない。

 これはダルに限らず、インド料理屋でメニューをよく見ると、主食(意外なほど種類が多い)にそれぞれの名前がある以外は、ほとんどの料理名が食材の記載であることに気づく。モダン寄りの方向に目を向けると、考案者の名前や地名が冠されたものが結構あったりするので話は変わってくるのですが。

 ネパールではこのダル(豆)とバート(米)を中心に、もう数品のおかずを足した食事形式のことをダルバートと呼んでいる。美味くて安いので僕はしょっちゅう大久保のネパール人街まで食べに行くし自分でも作る。なにせヒマラヤに住んでる人たちの食事だから、日保ちする食材ばかりなのが良い。毎日自炊するわけではない人には向いていると思う。

 豆の煮方にはある程度作法があるのだけど、僕はあんまり守っていない。わからないように説明すると、アユールヴェーダに従えば冷たい食材であるところの豆を煮るなら温かい食材を入れるべきだけど、全然入れていないし、ネパール料理なのにスリランカ寄りの食材で作っている。煮崩す気がないので圧力鍋も持っていない。少量の塩とターメリックで煮た豆に、油で温めたホールチリ、マスタードシード、カレーリーフを放り込んで終わり。たまに動物性の味が欲しい時はモルジブ(鰹節)を少し入れたりする。手順が少なすぎて主観的にはカレーと呼べないので、煮た豆と呼んでいる。家でひとりで食べてる時は、豆そのものの旨味とカレーリーフの香りだけでめちゃめちゃ美味しくて、これ以上何も入れなくて良いと思いながら食べている。この手順だと包丁とまな板を洗う必要もないし。

 以前、友人と泊まりがけで遊ぶ予定を立てた時に「いつも作ってる豆のカレーを持ってきてよ」と頼まれた。結構困った。主観的にはカレーじゃないから。結果、いつもは入れてない玉ねぎを炒めるところからスタートしたし、スパイスの種類も何種か増えた。最寄駅の地場野菜コーナーで見かけて美味しそうだった菜の花も別で炒めて混ぜてしまった。そこまでやったらカレーになった。

 その時は他人に食べてもらうならカレーにしなきゃなと自然と思っていた。いつも作ってるやつが欲しいと言われたんだからそうすべきではなかったのかもしれないけど、あんだけ美味いと自分では食べておきながら、そのまま他人に出すものではないと思っていたことに気づいてしまった。カレーにする為に必要な手順は普段やらないだけでスパイスは揃っていたし、知ってもいたから負担でもなかった。ついでにトマトベースでもう一種類カレー作ったり、ジップロックいっぱいの刻んだパクチーと、付け合わせのアチャール(漬物)も用意したし、チャパティもその場で焼いた。

 スパイスからカレーを作るのはここ数年すごく流行っていて本も出ているし、自分で食べる為に工夫を楽しんでいる人もたくさんいる。僕は自炊だと満足するハードルが低すぎてそういうふうにはなれない。塩味に煮た豆でいいじゃんと思ってしまう。でも他人に作る時はカレーにしようとする自分に気づくと、それは結構面白いことだったし、簡単にモチベーションも湧いてくるのも発見だった。

 書くことに対してまったくモチベーションがないタイプなんだけど、そのわりに同人誌作ったりする時があるのは、その瞬間は誰に向けて書くかハッキリしてるからなんだな。カレーを作るように文章書きたいですね。自分に向けると、煮豆しか作らない。

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