21の夏
記憶に残る夏。
1つ、初めてすいかを食べた夏
2つ、友人の家に泊まった夏
3つ、幼馴染とプールへ行った夏
4つ、祭りへ足を運んだ夏
5つ、応援の夏
6つ、永訣の夏
これまで合計21回の夏。時の流れは実に早いものである。
「人が体感する時間は年齢に比例して短くなっていく」
というのはポール・ジャネーの有名な考察である。
科学的根拠を欠いているがゆえに批判されがちなこの考察であるが、頷けるものであるように感じる。
我々は既に知っていることに関しては非常に鈍感になるものである。
さらに言えば、予測可能なことに関して興味を失し、忘却しているのだ。
在りし学び舎に思いを馳せるとき、学校という特定のシーンでの出来事に比べ、通学路の道中のような確定しているものに関して想起することは少ないであろう。簡単に言えば、通学とは日々の中で作業化されるものであり、「慣れ」を生じてしまっているからであろう。
これは人生においても妥当する。
夏に経験すべき出来事をおよそ体験してしまった21の夏、気付けば8月の中旬に入ろうとしている。
新しく始めた事といえばnoteの執筆くらいであろうか。文章を記すという作業には過去の出来事への追憶が不可欠である。その際、過去の自分が体験した事象と対峙することになるのであるが、これが「慣れ」への特効薬なのである。一度経験済みの出来事を追憶してみると、現在と過去では評価がまるで異なることがある。これはある種のアップデートであり、単一の出来事が2つにも3つにも変容する。その過程で過去の自分の所業に対する嫌悪や後悔も生ずるかもしれない。しかし、「二度あることは三度ある」ように、これからも似たような出来事にきっと対峙することになる。
過去には選択し得なかった選択肢を取ってみせよう。次に備えるのだ。
たまにはすいかの種を口の中に入れてから捨ててみようかな。
今度は自分の家でお泊り会を開こうかな。
長蛇の列にも並んで一緒にスライダーに乗ってみよう。
浴衣を着てお祭りに行ったことがなかったな。
色んなスポーツ観戦をしてみよう。
気持ちは伝えられるときに伝えてこそ意味があるのだ。
記憶に残る夏にしてみせよう。
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