見出し画像

変わっていないように見えても

 大学時代にいちばん仲の良かった友人の話をしたい。

 彼女と自分は同じ大学ではない。が、共通の友人を通じて知り合った。
 話していくと私と彼女は多くの趣味が被っていることがわかり、共通の友人そっちのけで仲を深めていくようになった。これが大学1年生の冬頃の話だ。

 その後、何度か二人で遊びに行った。本当に会話が尽きることがなく、一緒にいてこんなに楽しいことはないと何度思ったか知れない。彼女は話を聞き出すのが本当に上手いし、共通の趣味が多いこともあって会話がどんどん派生していく。彼女と遊びに行った後は心に多幸感が溢れていたし、彼女が他の友人と仲良くしていることに少し嫉妬したこともある。彼女に対して恋愛感情を抱いていたわけではないが。


 大学2年生になりお互いハタチになると、居酒屋に入り浸るようになった。貧乏学生なのでやっすい居酒屋にばかり行ったし、おかわり自由のお通しや水で粘りまくったことも数知れない。幸い二人ともお酒が飲める体質だったので、おつまみを食べつつお酒をがんがん飲んで、今まで以上にとめどなくお喋りをした。そのせいで終電を逃したことだって何度もあるし、翌日を全て棒に振ってしまうほどの二日酔いもたくさん経験した。が、サークルに入っておらず周りが下戸ばかりの私は、彼女との飲みを通して学生らしいお酒の飲み方や居酒屋での自分ルーティンを確立していった。


 そんな大学2年生の終わり頃、世界にコロナが蔓延し始めた。外に出られず大好きなお酒も飲みに行けない中、彼女とオンライン飲み会をしたことは楽しい記憶として残っている。オンライン上ではあっても会話はものすごく盛り上がったし、楽しく気持ちよくお酒を飲むことができた。

 緊急事態宣言が明けて真っ先に会ったのはもちろん彼女だ。久しぶりに会って、久しぶりに居酒屋に行ってお酒を飲んだ。外でお酒を飲めることの尊さに酔いしれた。しかしその後も何度か飲み屋が営業停止になった。その度に「居酒屋行きたい」と嘆き、コンビニで買ったお酒を近くの公園で飲んでいた。それもそれで楽しい思い出だが、久々に居酒屋が再開してできたての生ビールを飲んだ瞬間の喜びに勝るほどではない。要請が弱まって居酒屋が息を吹き返すとすぐ、空いている居酒屋を探して駆け込んでいた。ここ1〜2年はその繰り返しだった。


 そうした生活を続け、大学生活も終わりに近づいてきた。コロナが蔓延し始めてからというもの、我々は情勢が許せば月一回くらいの頻度で会っていた。かなりハイペースで会っていたにもかかわらず、会話は尽きることがない。最近した自炊の話、お互いの近況、共通の知り合いの話など、話題は様々だ。我々が仲良くなったきっかけはある共通の趣味だったが、月日が流れてお互いその趣味からは足を洗った。しかしお互い次にハマったものも同じで、最近は専らそれに関しての話をすることが多かった。


 大学4年生も後半になり、そろそろ就職や卒業が頭をもたげてきた。そんな中でも我々は変わらぬ頻度で会い続けていたが、なぜか話のチューニングがずれ出した。今までは会って「最近どう?」と聞けば、そこから話が途切れることはなかったのだが、この頃からは話が途切れたり無言の時間ができたりするようになった。具体的にいつ会った時からか、何がきっかけなのかは明確に分からないが、話していて本当に楽しい!ずっと一緒にいたい!という感覚がこの頃には徐々に薄れ始めてきた。もちろん一緒にお酒を飲めば途切れずに会話をすることができるが、お酒を触媒とせずとも会話が弾んだかつてとは違って、お酒を使って我々の間のエンジンを回すようになってしまった。


 そんな思いが決定的になったのが今日だ。今日は彼女と二人でお笑いを観に行った。お互い社会人になって初めて会う日でもあったし、公演後にはゆっくりご飯でも食べながら、仕事のあれこれを話したり聞いたりしたかった。これは昼の話なのだが、普段彼女と昼から会う時は、昼ごはんを食べてから街をぶらぶらしたり喫茶店に入ったりして、そのまま居酒屋に行くのがなんとなくのルーティンになっていた。ので今日も公演が終わったら昼ごはんを食べ、その後はゆっくりお茶でもしながらお喋りできたらいいなと思っていた。明日仕事なので夜居酒屋に行くのは辛いが、昼から飲むのもありだなぁなんて考えていた。

 公演が終わり「この後どうしようか?」という相談をすると、どうやら彼女は居酒屋には後ろ向きの様子だった。私も彼女が乗り気だったら居酒屋に行きたいと思っていた程度なので、昼飲みの線は無くなった。なら昼ごはんを食べてお茶するプランか?となんとなく思いつつ、昼ごはん屋さんの相談をした。お昼を食べ終わってもゆっくり長居できるような場所がいいなと言ったが、なぜかカレー屋さんという食ったら出ろの代表格みたいなお店に行くことになった。カレー自体は美味しかったし、カレーを食べながらお喋りに興じることもできた。食べ終わって出てまた「この後どうしようか?」の時間になった。幸い彼女に買い物の用事があったので、それに付き合って駅ビルをぷらぷらしていた。

 買い物が終わり、またこの後の指針がなくなった。かつての我々ならこの後はどこかに座ってお茶をするのが鉄板だったが、ここで私が出した選択肢が「お茶するか解散するかどっちにする?」というものだった。まだ午後の2時くらいで、解散するには早すぎる。話したいことだってたくさんある。

 がしかし、今日を通して我々の会話はめちゃくちゃ重かったのだ。近況を尋ね合ったり仕事のことを尋ね合ったりはしたのだが、ある話をとっかかりにして別の話が展開することは少なく、会話がぶつ切りになって放置されることが圧倒的に多かった。知り合ってすぐの人とならまだしも、相手は3年以上の友人だ。かつてはあんなに話が盛り上がった彼女との間で、あろうことか会話が途切れて気まずい瞬間というのが発生した。私は会話が盛り上がらない相手といるのがたまらなく苦痛なので、ここで喋るか帰るかという二択を提案してしまったのだ。

 彼女は夕方までに帰りたいと言っていたので、帰る方の選択肢を選んだ。そして我々はまだ日も高い時間に解散した。その後私は一人で自分の買い物を済ませた。かつてなら彼女と一緒に済ませていただろうし、一緒にいる時に「どこか寄りたいとこある?」と聞かれてもいた。しかし会話が弾まないことが嫌だったし、彼女に自分の買い物に付き合ってもらうのは申し訳ないという、しごく他人行儀な考えによって断ってしまった。


 これが今日のできごとだ。あんなに話が盛り上がって、ずっと一緒にいたいと思って、暇さえあれば遊んでいた彼女に対して、マイナスな気持ちや退屈な感情を抱いてしまったことがたまらなく悲しい。

 他に悲しかったのは、我々の目に見えない変化に気づいてしまったことだ。会話には波長というものがあり、一年前までの我々はそれが奇跡的なくらいぴったり合っていた。しかしお互い就職や卒業という身辺の変化を経て、内面にも見えない変化が生じたのだと思う。正直私自身は何も変わっていないと思うし、彼女だって恐らくそうだ。でも外的な環境が変わる以上、それは必然的に内面にも影響を及ぼしているはずだ。こうした内面の無意識な変化が我々の方向性を少しずつずらし、一緒にいる時の「なんか違う」感を生んでしまったのだろう。


 進学や就職を経ても波長が変わらず仲良くしている友達がたくさんいる中、なぜ彼女との間にだけずれが生じたのかは分からない。また、これは全て私の頭の中だけの思考なので、彼女はもしかしたら私との時間に気まずさや辛さを感じていないかもしれない。願わくば彼女と再び、チューニングがぴったり合う時間を過ごしたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?