見出し画像

復活、東京トンガリキッズ!

「東京トンガリキッズを復活させましょう!」

若い編集者にそう言われました。何度かそんなご提案があり、実は部分的には復活してもいるんです。けど、これまで、まとめてお話する機会がなかった。う〜ん、よっしゃあ…そのへんのことをnoteで書いてみよう、と決意しました。かつてのトンガリキッズも、トンガリキッズ? えっ、何それ? …という新しい世代の方も、まあ、おつきあいください。

さて、『東京トンガリキッズ』は、東京に生きる若者たちを描いたショートストーリー集です。1987年11月に単行本が出ました。

画像1

もとは月刊雑誌「宝島」で連載されたもので、1985年から始まってます。見開き2ページで2000字ほど、第1回はこんな感じ。

画像2

乃木坂にあったクラブ・インクスティックの戸川純のライブに行く女の子の物語。3分ほどで読めるので毎回BGMをつけました。目次を載せます。

画像4


単行本版の第1話「赤坂見附で乗り換えて」は、当時、地下鉄・銀座線の車両は駅に着く直前に車内の灯りが消える…その一瞬の暗闇でキスする少年と少女の話。「活人」という雑誌に載ったもの。これです→

画像3

表紙の全身黒塗りの女の子は、なんとキョンキョン! 当時19歳の小泉今日子。
「宝島」はロック及びサブカルチャーの雑誌で、若い世代に読まれていた。つまり『東京トンガリキッズ』は読者を主人公にした的な小説だった…というわけですね。
連載開始当時、私は25歳。フリーライターで、仲間たちとミニコミ雑誌を作ったりしてました。85年春、「新人類の旗手」とか呼ばれて、ちょい名が知られたりもした。
周りに若い面白い連中がいっぱいいて、彼らをモデルにしたり、話を聞いたり、一緒に遊びに行ったりして、思いついたストーリーを書きました。
植田敦氏の撮影の写真も付されていて、このページに載るモデルを募集もした。当時、「宝島」編集部でバイトしていた菅付雅信氏やライターの石丸元章氏が撮影を手伝ってくれました。現在、写真家の花代さん、コラムニストの山崎まどかさん、イラストレーターの森永ニッカさんも、写真モデルとして出てくれています。皆さん、10代半ばでした。菅付氏が20歳で、石丸氏が19歳かな? いや〜、若いパワーでトンガリキッズを作ってたんだなあ。
『東京トンガリキッズ』は「宝島」の誌面でけっこう人気があって、お手紙もいっぱいもらいました。あ、これが読者プレゼント用のトンガリバッジ…超レアです!

画像5

物語の中で、RCサクセションやYMO、ブルーハーツなど80年代のロックがガンガンに鳴って、当時エイティーズ真っ盛りの固有名詞がびゅんびゅん飛び交う。今の若い人が読んだら、まったく意味不明かも…。
ところが、ある日、ネットでこんなサイトを見つけました。

『東京トンガリキッズ』の各回に登場する固有名詞が詳細に解説されてます。すごい! これから読まれる方は、ぜひ、ご参考に…。
単行本版では書き下ろしの2話(「きよしこの夜」「さよなら、TOKIO」)を含めて28話を収録。その後も連載は続いて、「宝島」の89年12月号で終了しました。そう、「80年代に殉じた」感じ。それは私の20代の終わりでもありました。
2004年、『東京トンガリキッズ』は文庫になります。

画像6

画像7

単行本版に加えて連載分をすべて収録した全48話です。こちらも目次を載せます。

画像8

画像9

単行本版から17年後の文庫出版。当時、ちょっとしたことがありました。未知の音楽関係の方からお電話をいただいた。なんでも新人バンドのマネージメントをされてるという。で、デビューアルバム収録の曲で私の『東京トンガリキッズ』の文中からフレーズをパクってしまった、というんですね。「本当に申し訳ありません! どうしましょう、お金を払いましょうか?」とオロオロされている。なんでもバンドのメンバーの方が『東京トンガリキッズ』の熱烈な愛読者で、ついやっちまった…と言うのですよ。
連載中の1980年代にはよくそういう話もあったけど、2004年ですからね。へぇ〜、と思った。なんか逆にうれしかった。
「そんなん全然いいですよ。もし、よければライナーノートに<サンクス中森明夫with東京トンガリキッズ>とか入れてもらえれば。んで、なんかの時に私のために歌ってくださいよ」とお願いしました。その後、すっかりそのことを忘れていました。
「中森さん、東京トンガリキッズのフレーズ、歌ってるバンドがいますね!」とある日、若い知人に教えられました。
そう…『NO FUTURE NO CRY』、銀杏BOYZです!
『東京トンガリキッズ』、第41話「一九八九年一月七日のパンクロック」のラストがこちら…。

画像10

それが、こんな曲になりました。

いや〜、びっくりした。銀杏BOYZのボーカルの峯田和伸さんが『東京トンガリキッズ』の愛読者だということで、この曲ができたという。後に…2017年12月、女優&アーティスト・のんさんの<のんフェス>を見に行き、楽屋で峯田さんと初対面、歓談しました。その夜のライブでも銀杏BOYZは『NO FUTURE NO CRY』を歌ってくれた。とても感動しました(『東京トンガリキッズ』でそのフレーズを書いて、なんと29年後ですからね!)。
…というわけで、1980年代に20代で書いた『東京トンガリキッズ』が何らかの形で21世紀に受け継がれ、甦る…というお話、もう少し、続けようと思います。
(つづく)

<中森明夫の最新情報>
『東京トンガリキッズ』は27歳で出版した私の初単著、デビュー作です。今、また新しい小説を書いています。<サブカルチャーのカリスマ・寺山修司が今も生きていて、アイドルグループをプロデュースする…その名も『TRY48』!>と題する、ぶっ飛んだ物語。文芸誌「新潮」で連載中。第1〜3章が以下のサイトで無料で読めます。ぜひ、ご一読を!


https://www.shinchosha.co.jp/shincho/special/try48/

画像11


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?