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「なんで?『わたしの』お母さんやのに?」

これは、こどもたちを児童擁護施設に3年半お願いしていた時に
娘に言われたセリフ。
息子の保育園のイベントの時だった。

家族が誰も来てくれていなかった男の子A君(入所している男児で、息子の唯一の同級生)が、自分の出番以外のとき、娘と息子に混じって
わたしにずっと体を寄り添わせてきていた。

施設にいる息子と娘に月1で面会にいくたびに、
A君は毎回、わたしを「なんとなく、気にしている」ようだった。
手を繋ごうとしてきたり、わたしと「目が合う」のです。
だから、
わたしは息子に話しかけるのと同じようにA君に話しかけたり、
触れてこようとすることに応えていた。
(施設のスタッフの人たちは『すみません💦』と言いながら、
A君が私に触れるのを制止するよう、厳しめに関わっていた)

そういうことがあり、
元々A君はわたしに懐いていたところもあって。
イベント時に、やたらとくっついてくるA君を、
わたしは「抱擁」する感じで、抱きしめた。

その時に、横でみていた娘に言われたセリフ。
娘は、当時小3だった。
環境も環境だし、「所有欲」があっての「怒り気味のセリフ」だった。
娘の疑問や心情は、年齢からも環境からも理解できるから。
「お母さん、なんで??」は、
娘からしたら当然のメッセージだった。

「今はごめん。施設にお願いしてるからあなたも「少ない」って感じると思う。でも、赤ちゃんの時から、こうやってぎゅーーってしてたよ。
私はあなたのお母さんだよ。月に1回しかできないけど、会えてるでしょう?
A君のお母さん、なかなか会いに来れない(来ない)んでしょう。
寂しいんだよ。A君まだ保育園の子だよ。いっつも、わたしが施設に行くと
くっついてくるでしょう?(娘:「うん」)」

「A君嬉しそうでしょう。わたしが応えると。(娘:「うん」)」

「わたしはあなたのお母さんだけど、A君が今「お母さんみたいな人」が
 欲しいんだったら、わたしは「今」できるんだよ。
 こうやって、「大丈夫だよ」「愛してるよ」って。
 目の前のこどもに、あげたいんだよ。」

「A君は今欲しくて。わたしは、あげられるから。」


そう、
娘に、
その時に伝えた。


なかなか、難しいことだったと思う。
わかったのか、わかってないのかは分からない。

けど、「大事なこと」
だったから、その時に、伝えた。

あの時のことをよく憶えているけれど。
娘は、不服そうな、よく「わからない」という表情だったけれど、
「怒り」の表情は消えていた。
なんとなく、娘なりに納得できるものが
あったのかもしれないし、なかったのかもしれないけど。
「怒り」はなくなってた。

元々、
こどもたちに対するスキンシップは
「重要なもの」だと思っていたから。

生まれた時からずっと「あった」し。
そのイベントの時も
娘のことをほったらかして
A君にだけスキンシップをしていたわけではない。

求められているものを感じて、
A君に対して「自分ができる範囲」で且つ
A君が施設の人たちに「制止されない」程度のバランスで、
与えていたという感じ。

わたしと娘や息子たちの「愛着」に関しては
転園回数3回ある中、
複数の保育園でも、幼稚園でも、
「とても良い」と園長はじめ、先生方との密な関わりの中で
第三者から判断してもらっていた。

こどもたちを施設にお願いすると自ら児童相談所に行ったときも、
こどもたちと私の関係性、こどもたちだけの様子。
第三者に判断してもらって「きちんと関係性ができあがっている」
「こどもたちは安定しているし、お母さんとの愛着もしっかりできている」
(なのに、なぜ??)と。そう施設長から言われていた。

自分の状況、これまでの私と家族(親)との関係性。
当時「『間』でどうしようもない」と、手放さざるを得なかったから。
「子育てできる精神状態ではない」と。

とにかく、「子育て」をその時手放した。
けど、元々こどもたちとは「良好」であった。

そんな状態で、
こどもたちは施設に入所することになった。
わたしと実家の家族、母親との共依存が問題でだ。



わたしは、「こども」という存在が好きだ。

「好き」というより、愛している。

わたしが20代で壊れた時
救ってくれたのが「小2の女の子」の存在だったからだ。

そこからわたしは「こども」という存在に深く興味関心を抱き、
託児所で働いたり保育園で働いたり。
「こども」という存在の「なにか」を知りたくて。
そのことしか頭になかった。

その頃は結婚もしてなかったし、
「自分のこども」が居なかったから。
人様のこどもに触れることで「わかろう」としていた。

今は、その「なにか」は
自分の中でわかってきているけれど。

とにかく、
わたしは「こども」という存在を愛している。


それは「自分のこども」だから、
という限定的なものではない。

「母親になったから」
芽生えたものでもない。

たまたま、
わたしにはそういう「母性」が強くあるのか。
小学生の頃から、
元々「母性のかたまり」のような人間なのである。
原体験が、小学生の時にある。



「お母さんらしいわ」

と、
今では娘に言われてしまう。

「みんな、お母さんみたいな『お母さん』
 だったら いいのにね」

と。

そんな風に言われる。

良いか悪いかはわからないけど、
わたしが「そういう人間だ」ということは
娘も、息子も、もうよくわかっている。

『 こころの仕組み 』

の話を、
もう5年もしてきているのだ。
いいかげん、わかる。
それ以上に「感じる」ものがあるだろう。


こどもたちは
精神的に、ものすごく安定している。
自分から言わなければ
「え、本当にで施設に居たの?」「施設に預けてたの??」
と言われるくらい。
娘も息子も、すこぶる明るく。
コミュニケーション能力も高い。


こころの安定

には

「純粋な母性」

が、
ある期間、ある時期には
ものすごく必要であり。

それを
与えるのは、もらえるのは
「自分の母親」(から)でなくても良い。


『母性』が、あればいい。

その「性質」が強い人。出せる人。

下は小学生でも、中学生でも。
上は70代のおばあちゃんからでもいい。


母性が必要な人に
母性がある人、強い人が
「純粋に」与えられる、もらえる。

そんな場や関係性が「ある」「生まれる」こと。


もっと、
世の中に増えていくことは
わたしはとても重要だと思っている。


施設の子たちに何人にもなつかれた。
息子の同級生には特に。
託児所でも保育園でも学童でもそうだった。
姪たちに対してもそうだった。

わたしは
誰の「お母さん」にでもなれるなって
たくさん、経験してきた。



自分の中に「沢山ある」ものは
人に、あげられるんだって、経験してきた。



母性は、減らない。

わたしの中にある
とても大切なものの1つです。



今後、母子共に「自分らしい幸せ」を諦めず、希望をもって生きていけるための具体的なサポート活動を拡げていきます。そのための活動資金にしますので、ぜひお気持ちいただけたら嬉しいです。応援よろしくお願いします。