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今していること、全てが、愛おしい宝物。

最近になり、急に色々とまた変わってきました。
今までまだ「曇った状態」でしかみえなかったものが
クリアに鮮明に見えるようになったり。

今の自分にとって「余分、不要」に感じるものに
より敏感になって、「わかる」こと。

たとえば具体的にいうと、

●表現の仕方
→ わからなかったり、古いまま固執していたものを
 今少しずつ変えていっています。それに伴いnoteの外観も変えました。

●タロット
→ 急に「体験」と深いところで結びつくように。
 それに伴い、魔術系の情報、元々「カードのビジュアル」から
 情報を受け取ることに惹かれていたものが、急に「重い」と感じて。
 より本質的なポイントで「カードとわたし(世界)」を繋げられるように   
 なっている。

●データとアクセス
→ わたしは自他共に認めるADHD。病院でもお墨付きです。なので40歳近くになるまでずっと「整理整頓」がとんでもなく苦手でした。が、親子問題の改善をしていく中で「できること」「解決していくこと」がとても増え。今は生活上の「困りごと」としては、ほぼありません。
自分のこんがらがった「こころのデータ」を紐解いていくことで、
必然的に、現実の世界でも「片付けられる」という状態にリンクしていきました。
そこからの今。
ここ数日になって、急に「パソコン&スマホ内のデータ(特に写真)」が
「ものすごく不快」に思うようになり。今、ここです。
もう5、6年。ずっと気になっていたけれど、「容量」はいくらでも拡張できるので、なんとなく後回しにしてきてしまいました。。。
今ならわかります。自分が「定まっていなかった」ことの象徴です。
それに、とうとう「不快感」を感じるようになってきました。
いよいよ、整理します。する。するぞぉっ。

この「整理」が終われば、またかなり「進める」と思います。

●味覚、食で求めるものの変化
→ この1年、息子と一緒になり「お菓子」や「インスタントラーメン」を
食べることがとても増えてました。ですが、息子と一緒に「体質改善」に取り組み始めてわずか1ヶ月。お菓子(スナック菓子)もラーメンも、もう買ってはいませんが「あっても、欲しくならない」という状態にまで戻りました。
それだけでなく、慢性的に不足していた「ビタミン」や「鉄」の「不足状態を、感覚的に感じられる」状態になったこと。これはとても大きい変化で。今、自然と「選ぶ食材、料理、レシピ」も変わってきています。親子共々、正常な感覚やセンサーが戻ってきていて、徐々に健康的な食習慣に戻っています。食に関しては、こどもたちも一緒に、毎日の「自分の変化を知る」楽しみの一つになっています。
 


『喉元過ぎれば、熱さ忘れる』


という言葉がありますが、
本当に「終わってしまう」「過ぎ去ってしまう」と
どんどん忘れていってしまいますね。

人の「記憶の容量」って
パソコンのように拡張ができない。
だからこそ、
限られた容量には「今、必要なもの」で埋めていきたい。


わたし、
今振り返るとですが、
過去のわたし、ものすごく酷かったんですよ。本当に。色々。
だけど、今もう忘れてしまっていて。
「新しい自分」で、どんどん上書きされています。

もちろんまだ、
過去の自分が生んだ「負債(もう今は不要なもの)」のいくつかは
移行期間中のものもありますが

かなりのものが、
質としても、量としても、アップデートしてしまった状態。


言葉にして言うなら

「今とこれからの自分が欲しいもの」
「今とこれからの自分にとって価値あるもの」

にしっかりと照準が合っている。
そこにフォーカスしているという状態で
実際の「状態」としては、とても喜ばしいことなのですが。


過去、
その時に感じていた「リアルな感情、感覚」というのは
本当に「その時」にしか味わえないものなんですよね。

ポジティブなものよりも
ネガティブなものの方が
今となっては「愛おしい」とすら感じます。

そういった
愛おしいものを、どんどん
忘れていってしまう。


過去のわたし。
当時は

生きている理由もわからなかった。
死にたくて死にたくて仕方がなかった。
実際、何度も死にかけた。
動けなかった。3ヶ月人と話さなかった。家を出なかった。
どうしても人との距離感がわからなくて絶望的だった
社会で自分だけが「置いてきぼり」「出来損ないの人間」だと思って
責めに責めていた。
中2から発症していた「抜毛症」という
精神病(わたしの現実)をずっと無視して、そんな自傷行為を続けてしまっていたこと。
罪悪感と怒りと(母親に対する)殺意に駆られていた事。


こういう「気持ち」「つもり」で毎日生きていたんです。


その渦中は、
本当に辛かった。

涙が枯れるほど泣いたし、
こころが死んで、動かなくなった時期もあるし。
こころを閉ざし、人とも全く関われなかった時期も長かったし。
実際「病気」にもなったし。


本当に、酷かったんです。


だけど、
そんなわたしでも、
ここまでは変われた。
今、ここ。


ここまで変われたこと。

もちろん
私ひとりの力でも才能でも能力でもありません。
「当事者」であった母や家族もそうですし、
その都度その都度、関わってくれた方達。
良い意味でも、悪い意味でも、つながった人。

そして、なにより
「自分の闇」を押し殺して、なかったことにして
現実的に「死んでいた」私という人間を受け入れ、支えてくれる人がいて。
ありがたいことに「継続的なサポート」を受けることができたこと。

そんな、沢山の人との関わりと、
受け入れがたい「現実」を突きつけてくれる父性性
深く大きく、どこまでも愛してくれる母性性に育まれてきて
今のわたしがあります。


わたしの「闇」の部分。
ほぼ完全に「昇華してしまった」ので
もう感覚や感情として「ナマのもの」は思い出せないけれど。

どれもこれもが、
今の自分。今のしあわせ。
に繋がるもので、
わたしが経験すべき事、必要だったもの。


そう、しっかりと感じられるので。
完全に忘れてしまうまえに、
今の気持ちは残しておきたいなと
ふと思ったのです。

捨てることなく、
きっと「新しい引き出し」を作って
いつでも「引き出せるように」しておくようなものなんだなと。
そんな風に感じます。

そういう意味でも
やっぱり「整理整頓」って必要なんだなと。
そんな風に思いながら
今言葉にしています。


今、
自分のしていること全てが
愛おしい宝物のように感じています。

今後、母子共に「自分らしい幸せ」を諦めず、希望をもって生きていけるための具体的なサポート活動を拡げていきます。そのための活動資金にしますので、ぜひお気持ちいただけたら嬉しいです。応援よろしくお願いします。