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「大丈夫」になる


先日、自然災害に見舞われて一歩も自宅から出られない状態になりました

仕事も急遽出勤停止命令が出るほどの災害で、都市は水没し、サイレンが鳴り響き、玄関のドアを開けていけないほどの惨憺たる状況でした

幸いなことに、私は家に引き篭もるということが得意な人間であり、手紙を書いたり映画を見たりで大変有意義に過ごせはしたので問題はありませんでしたが。

少し食糧難になりかけて、有事の備えってその時にならないと分からないなと思わされたぐらいです



驚いたのは、いろんな方が「大丈夫?」と連絡して下さったということです

これは決して愛されているアピールというわけではないことを弁明しておきたいんですけれど、思っていたよりも"心配しているよ"と伝えて下さる方がいてびっくりしたのを覚えています

私にはないホスピタリティだ


親とか恋人だったら心配する理由は少し分かります
その人の人生を確認する権利があるから

それでも、
ただの同僚を
年に一度だけ会う友人を
今は疎遠になった同級生を
インターネットのフォロワーを
赤の他人を「大丈夫?」と心配して、声をかけて下さる人がいるということ

私が大丈夫かどうかはあなたの人生になんら影響しないはずなのに、それでも人様は心配して下さって、時間を割いてまで声をかけて下さるなんて

私が受け取ってばかりで何も返せないなぁと思っていました



大丈夫ですよと伝え、少しおどけて家にいる楽しさを語ると、決まって「元気そうで良かった」と返して下さいます

私がただ元気でいるということが、人様の"大丈夫"になるのが嬉しかったです

嬉しかったです


私も、もう少し自己と他者の線引きを弱める必要があるかもしれないですね

「こんな赤の他人から"大丈夫?"って聞かれても困るだろうな」というメタ認知を働かせないで
もっと気軽に、それでいて確かに、人様の安否を心配して声をかけていきたいです


私の"大丈夫"になって下さい



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