何もかも嫌になった俺はネットから消えた

インターネットは俺を狂わせる。この事には前から気づいていたが、無視していた。どう考えてもインターネットが俺の精神を蝕んでいるのに、やめられなかった。

何故か?理由は簡単で、俺にはインターネットしかないと思っていたからだろう。ずっとやってきたもの、積み重ねてきたものを捨てたくなかった。まあ、今となっては一体何が積み重なっていたのかよく分からないが。


小学生からネットに触れ、ソーシャルメディアやオンラインゲームという分野においてのインターネットが持つ可能性の虜になっていた。当時、マリオカートDSを初めてオンラインでプレイした時は本当に感動した。きっとそういうオンライン対戦が当たり前になる時代が来るとワクワクしたことをよく覚えている。

しかし蓋を開ければオンラインゲームは……キチガイの巣窟でしかないと思う。断定はできない。物凄い楽しんでる人もいる。ただ、俺にはもう1%程度の人間を除く他のプレイヤーは、俺に害を為す何かにしか思えなくなった。暴言には一向に慣れなかった。下手な味方にも段々と物凄くイライラするようになった。

オンラインゲームというものは非常に辞めづらく出来ている。ゲームクリアがないのだから当たり前だが。オンラインゲームを辞めるということは、そのゲームにかけてきた時間を全て捨てることと同義だ。辞めた瞬間、ライバル達にはもう追いつけない。高かったステータスも過去のものとなる。ゲームをエンジョイ出来ない者にとってはオンラインゲームとはそういうものだ。社会競争なのだ。

俺はその競争に生を感じていた。なんとなくイメージする所のピラミッドの頂点に少しだけでも近づいていく感覚がたまらなかった。しかしもう無理だ。心が折れた。本当に悔しいがもう耐えられない。無理だ。もう全く楽しくない。


ソーシャルメディアにもストレスを感じるようになった。ソーシャルメディアもキチガイの巣窟であることに勿論違いないが、俺はなんとか人を選んで健全な付き合いをしていた。

ソーシャルメディアは矛盾している。この俺の考えは抽象的でとても言葉にし難いが、要するに誰もお前のことなんか見ていないということの本質だ。承認欲求の形が狂い始めている。俺は皆が何をしたいのか分からない。100万人登録者がいるyoutuberでないなら、そのツイートをする意味は何なのか?また今まさにこの事を、なおネットに共有しようとしている俺のことも最早良く分からない。インターネットは少数のコミュニティではなく、不特定多数に対する個に確実にシフトしている。この個は99%が没個性だ。俺はその事実に耐えられなくなった。

よく分からないことを書いたが、要するに俺はインターネットで誰かが何かをしていることの可視化や、自分が何をしているか見られていることが嫌になった。〇〇が△△をプレイ中などどうでもいい。そして俺のアクティビティも一切見られたくない。


結論、俺はオンラインゲームというゲームを一切合切アンインストールし、10年続けたTwitterのアカウントを削除した。そうしてから今思うことはただ一つ。これをして本当に良かった。俺は新しい人生を踏み出すことが出来る。

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