父親の残した傷

3歳の頃、父親が趣味のバイクでわたしを事故?に合わせた。
そのバイクに跨る父親と、父親に抱っこされた3歳のわたしが写真で残っている。
タイヤの太さが30cmくらいもある三輪のオフロードバイクだった。

父親はわたしを背中側に掴まらせて乗せ、オフロードではなく、階段を昇った。
2、3段昇ったところで、階段の角度に耐えられるはずがなく、わたしはバイクから転げ落ちた。

「あれ?子どもがいなくなった」
父親は、わたしを探した。わたしはバイクの下にいた。
踏まれたりは幸いにもなかったが、熱くなったマフラーがくるぶしの上のあたりにあたり、深度3まではいかないが、その後毛も生えてこず、他と皮膚の感じが違うな?くらいに跡は残る火傷になった。

当時、「お金がない」とアトピーの治療も民間療法で、薄~くスライスした大根を痒い膝裏に貼り、ますます痒くさせるような家だったが、さすがに病院に連れて行かれた。

傷のガーゼ交換は家で母親がしていたが、痛くて泣き叫ぶ……ことはできなかった。父親がいたら。
五月蠅い!!
といって怒鳴られるから。
口を押えて声や泣きそうになるのを我慢した。
父親にも多少の負い目はあったのか、でも控えめに怒られた。

わたしのせいじゃないのに。
傷作ったのお父さんよ?
父親は恐くてわたしに語彙力もないので言い返すこともないが、小さいながらに理不尽に思った。(※3歳です)


その後傷が治る前に保育園主催で、何かの観賞会のようなものが映画館みたいなところであった。座席を水平にして座り、立ち上がると自動で座席がびよ~んと上がる、あの椅子のある場所だ。
前の方には落ち着いて座れず、背もたれにもたれようとすると、体が小さくて軽すぎたわたしは椅子にハマった。
座席と背もたれの間に上向きのくの字になって体が挟まった。
火傷の傷が座席にこすれて痛くて泣こうとしたけど映画鑑賞で静かな場面。
暗いし先生にも気づいてもらえなかった。

助け出されたのは映画が終わってからだ。


あれ以来、バイクもちょっと怖いし、火傷の跡の3cm×5cmくらいは脱毛もしなかったけど毛も生えてこない。
映画館の立つと座席が上がる椅子も居心地が悪く、映画館に行くのもしばらく苦手だった。


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