見出し画像

『仕事に求めるもの』(シンリシmの、持続可能な仕事スタイルを探す旅#46)

仕事に求めるもの。
かつては収入だった。
まあ、今も収入ではあるのだけれど。

しみじみ仕事について考えるようになった。去年あたりから。

例えば、SCは基本、常にアウェー。いつまで経っても、10年経っても、お客さまなのだ。

おびただしい数の関係者。13人の教育相談担当教諭、13人の校長に、16人の教頭。担任、生徒指導担当教諭、養護教諭。中には、ハァ?😮という方もいる。
カウンセリングの希望者が多いからと、勤務外労働を迫ってくる、教育相談担当教諭との仁義なき戦いなど、ハテナの連続なのだ。

そのSC版鎌倉殿的な、小さな歪みというか、小さなトゲが、どこかでずっとチクチクしている。

人生100年時代と言われる。
SCには定年がある。いや定年も何もない、ただ雇われなくなるだけだ。

SCが終わりになっても、まだまだ働き続けなければならない。悠々自適なんてミライは、やってこないのだ。これがThe非正規雇用、高学歴女子の貧困なのである。

キャリアの晩年で、このチクチク感をヨシと出来るだろうか。

もっと言えば、労働者としての大切にされてない感や、居心地の悪さ、立場の弱さを、受けいれ続けていきたいか問題、である。

仕方ない、じゃない。どうなりたいか、は選べる。今の仕事にしがみついて、ひととき(一年間)の安心を得るのか、自身の居心地を追求していくのか。

一度に全部は手放せないかもしれないが、そろそろ来年度の契約に向けて、いろんな角度から検討を始める必要がある。
一気に辞めたかったが、随分ガンバったが、先立つものの準備が間に合いそうにない。
めちゃめちゃ稼いで、早く自由になりたい気もする。

SCの仕事は、充実した気持ちになることも、やりがいを感じることも、勿論ある。
しかし、その多くは、長くは着られないチクチクしたセーターのようなのである。

昇給というよりはむしろ減給、何をモチベーションに働けばよいのだろう。
側から見れば、何が魅力で働いているの?と言われても、なんら不思議ではない。

みんな、なんでSCしているのかな?😮

私は生きていくために働いてきました。

でもこれからは、ジブンを価値のない人と扱うのはやめて、大事にしていきたいと思ってる。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?