【書き散らし】“思考”が苦手だという話【散文】

今回は散文です。

筆者はわりと元来から、“じっくりと物事を思考する”ことを不得手としている。
不得手としている、というよりは、物事を熟考する必要性に駆られたことが少なかったから、“思考”を放棄する習慣がついてしまった、というのが現実に即している気がするけれど。
思えば、自分は育った環境(実家の場所・親の職業・勉強の才能・顔面偏差値など)に相当恵まれていたと思う。生きるのは比較的イージーモードだった。だからこそ、生きることがハードモードの人と比べて、“思考”することができなくなった。思考せずにも生きていけたからだ。
書いていて思う。なんて傲慢で怠慢なんだ、自分は、と。それでも生きているのは苦しいけど。

閑話休題。
筆者は思考ができない人間だが、もちろん何も考えずにボーッと生きているだけでは人生は悪い方向にどんどん転がっていく。
ではどうやって打開したか。
行動だ。
筆者の人生はアクションアクションアクションでできていた。
筆者は29年生きていたけれど、人生の転換点は何度もあったと思う。そんなところで、普通に生きている多くの人間は、思考して思考して思考して、結論を出して、前に進んでいたんだろう。
果たして筆者はどうだろうか。
ひたすら向こうを見ず、十歩先百歩先どころか、前の一歩二歩先も見ないままで、行動をして、その場を切り抜けてきた。
この場合の“行動”は、“助言の無条件な受容”だったり、“それに伴った判断”であったり、“目先だけを見据えた決断”だ。そこに、“思考”は伴っていない。

今筆者は、とかく“思考”ができない、という事実を突きつけられている。
それは、これまで“行動”一辺倒で生きていた自分を転換させられるか、そうでないかを意味する。

考えろ、思考しろ、そうして勝ち取れ。

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