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誰も好きじゃない、今の自分が心地良い

先日、仲の良い男友達と飲んでいる時、なんとなく話の流れで「お前、好きな男とかいないの?」と聞かれた。

その言葉を聞いた瞬間、なぜかイラッとした。

イラッとした理由が、その時は分からなかった。

おそらく彼に対して

「ハンッ! 貴様、恋愛至上主義か。好きな人がいないとダメなんか?」

と憤りを感じたのだと思う。

そのため私は口を尖らせつつ、こう答えた。

「常時三人ほど、好きな男はいる。しかも都度、自分の中にブームがあり、生活環境や仕事のペースなどによって、好きな度合いも変わる」と。

洒落の効いた、思い切りがよくてさっぱりした、きっぷのいい女性として返答したつもりでいた。

しかし、なぜか心の奥底にシコリが残る。

彼は私の発言を理解せず、キョトンとしていた。

色々なことにわずかに違和感を覚えながら、その時、その会話は終わった。

翌日。

私は再び、彼との会話を反芻していた。

「お前、好きな男とかいないの?」。

考えてみればその発言は、彼がシンプルに疑問に思ったから私に尋ねただけである。

彼は私に対して、とくに失礼なことは尋ねていない。

「最近、恋してる?」くらい、親しい友人同士の関係ならば尋ねることは、ままある。

しかし、私はその質問に過敏に反応した。

「コノヤロウ。人生、そんなに好きな人がいなきゃダメなんか。好きな人がいなきゃ人間失格なのか!?」とさえ思った。

今の私には、好きな人がいないから。

ということは、むしろ彼より私のほうが、好きな人がいない状況に何らかの負い目を感じている。

そこを悪気なく突かれたことで、イラッとしている。

要するに恋愛至上主義者は、私のほうかもしれない。

それに気づいた瞬間、頭を抱えた。

その後、冷静に自分自身の思考を整理した。

おそらく私は、咄嗟に「好きな人もいない、寂しい人に見られたくない」と思った。

彼に対して、常に恋愛も仕事も充実しているような、「余裕のある女性」に見られたかった。

だから、良い切り返しがしたくて、「三人ほど好きな人はいる」なんて嘘をついたのだろう。

(実際に日々、何人か好意的に思う男性は存在しており、現実的恋愛に結びつかずとも『プチ恋愛感情』はあるが、その議題は一旦、置いておく)

その考えに辿り着いた瞬間、見栄っ張りな自分を浅ましく思った。

そして、他人が何気なく発した一言に余計な意味を持たせたり、自分の枠に嵌め込んだり、勝手にイラッとしたり、フィルターをかけてしまう自分に、ゲンナリした。

しかし、その上で、だ。

実際のところ今の私は、誰にも恋愛感情を抱いていない。

そして、それが大変心地良い。

20代の頃の私は、好きな人が全てだった。

好きな人に情緒を育ませてもらい、共に難題を乗り越えることに命を賭けていた。

好きな人に甘い蜜を吸わせてもらい、時には本質的なことを教わり、揉め、そういうことにシズルを覚えた。

しかし、今の私は一人で立てている。

自分という人間が誰にも遠慮することもなく立ち上がり、好きなことや仕事、趣味、特技に向き合えている気がする。

その状況は誰にも惑わされないし、気楽で、人生に集中できる。

いつか再び好きな人が現れた時も、この感覚を大切にしたい。

出来るだろうか。


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