職場での「キャラ設定」永遠にミスる今生
この文章は、パーソルホールディングスがnoteで開催する「 #私らしいはたらき方 」コンテストの参考作品として主催者の依頼により書いたものです。
昔から、学校や職場で「初動のキャラ設定」をミスりまくる人生だった。
具体的に言えば、人から好かれたいと思うあまり、すぐに良い人ぶってしまうのである。
本当の私は決して善人ではないが、ニコニコと口角を上げて周囲に愛想を振りまく。
すると当然、関わった相手も、“偽りの私”がデフォルトの設定だと思い込む。
次第に私はネガティブな意味で“お人好しキャラ”として認定され、抱えきれないほどのタスクを任されたり、他人の失敗をカバーしたりする損な役回りばかりが増えていた。
そんな調子だから、学生時代も「従順でクラスをまとめられる良い子」という謎の期待を教師から押し付けられ、ウッカリ学級委員長に任命されたこともある。
ところが実際は、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)する生徒達を小手先のリーダーシップで統一することは不可能で、短期間で即解任となった。
「大木さんが、こんなに頼りない子だとは思わなかった」。
この台詞は、“ふつうの生徒”に戻った瞬間、教師が私に吐き捨てた言葉である。
今になって考えてみても、他に投げかけるべき台詞はあったのではないかと思う。
しかし、私自身も常に“自分ではない誰か”を演じていたのだから責任はあるのだろう。
賢くて優しくて、リーダーシップがあって頭がキレる。
そして、誰に対しても誠実で、自分自身のセールスにも長けている。
――ずっと、そんな人間になりたかった。
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2018年、転機が訪れる。
「キラキラ営業マン」のふりをして会社員の仕事を続けるうちに、盛大に体調を崩したのだ。
あまりにもキャラ設定をミスり、他人に対して勝手に気を遣いすぎて、肉体的にも精神的にも限界を迎えたのだと思う。
私は、28歳になっていた。
やむなく勤めていた会社は辞めて、独立。
フリーランスライターという肩書を名乗り始める。
独立と言えば聞こえはいいが、実際は安定した収入や立場を失い、社会というレールからハミ出たことに不安を感じていた。
さらに、実績のない無名ライターにオファーが来るとも到底思えず、コネも人脈もない。
お尻に火がついた私に残された選択は「自力営業」、その一択であった。
手始めに複数のWEBメディアのサイト下部に記載されている「お問い合わせフォーム」から、せっせと自己PRの文面を送る。
「ぜひ御社で一本、原稿を書かせて下さい。エッセイやコラム、なんでも必ず結果を残しますから」。
いま振り返れば怪しくて、薄気味悪さ満点の文面だったが、当時の私は本気だった。
大抵は返事を貰えないが、来る日も来る日も営業メールを送ると稀に奇特な編集者から
「じゃ、とりあえず一本だけ書いてみます?」
と、返信がもらえるようになり、涙が出るほど嬉しかった。
こうして必死で仕事に邁進するうち、次第に少しずつ自分を取り繕うヒマがなくなり、キャラ設定をミスる頻度は減っていった。
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少し上手くいくと、今度は新たな野望が生まれるものだ。
私はその後すぐ、「アイドルのセカンドキャリアに関するインタビュー本を出したい」という大きな目標が芽生えた。
しかし、出版社へのコネなど何ひとつない。
そこで、まず東京・下北沢の書店で行われたトークイベントに客として潜り込んでみた。
そのイベントは、出版歴のある3名の先輩ライターが「書きたいことを本に昇華させる方法を語る」という企画で、行けば何かしら出版のヒントが得られると目論んだのだ。
さっそく参加すると、冒頭から登壇者による軽快なトークが続く。
「どのように本の企画になるネタを思いつくか」というテーマで話が進められて興味深かったが、「どのように出版社とコネを作るか」ということについては分からなかった。
そこで私は賭けに出る。
イベント終盤「客席からの質問募集コーナー」で、あまり客から手が上がらず登壇者が
「ホントになんでもお答えするんで。出版に関する質問でも相談でも遠慮なくどうぞ」
と発言したことを良いことに、速やかに挙手をしてこんなことを言ったのだ。
「すみません。私、アイドルのセカンドキャリアの本を出したいのですが、その企画についてどう思います?あと、よろしければ編集者さんをご紹介してくれませんか?」
周囲を見渡すと、会場にいた全員が「お口あんぐり」という状況であった。
無理もない。もはや質問の体裁をなしていない、図々しいお願いである。
唐突な発言に会場中クエスチョンマークが広がり、自分自身でも血の気が引いた。
「あ…、やっちまった」
空気が読めない発言をしたことに今さら自責の念が芽生え、震えながら着席する。
しかし、その瞬間、登壇者のひとりK氏からまさかの返答があった。
「いいですよ。このイベントが終わったら僕のところに来て下さい」
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イベント終了後、私はその場の空気を乱した責任を感じてK氏のもとに詫びに行った。
すると彼は「まあ、いいですって」とさらりと受け流してから「それよりも」と続ける。
K氏は掛けていたメガネの真ん中を人差し指でクイッと持ち上げると、
「本当に本を出したいなら、色々と準備が必要なんで。僕、よければ全部教えますよ」
と言ってくれるではないか。彼によると、まずは編集者に会う前に、
■どのような本を作りたいのか企画書(A4サイズ1枚)
■本が出来た時の目次イメージ(目次で企画の内容が明確になる)
■その企画に似た本があれば、類似作品の資料
■インタビュー系企画なら、キャスティングできそうな人材をまとめた資料
上記などを準備しておくと、話が進みやすいと教えてくれた。
その資料が完成したら、すぐに編集者と繋げてくれるという。
世の中には生きた菩薩がいるものだと、私は放心状態になりそうだった。
しかし感謝もそこそこに、すぐさま私は彼の資料を参考にして企画書作りに奔走した。
そして、出版社への持ち込み当日。
K氏が紹介してくれた編集者は、一見すると感情が読めない男性だった。
編集者は開口一番、
「大木さんは、どれくらい本気にこの本を書きたいんですか?」
と聞いてきた。
その質問が怖くて、私は心が折れそうになる。
「ホラ、いつもみたいに感じが良いキャラで、ニコニコと攻めちゃいなよ」
ずるがしこい自分の心の声が頭をよぎった。
しかし、もう今回ばかりは絶対に初動のキャラ設定をミスりたくないと思った。
ここが人生の正念場である。良い顔をしても、どうせあとでボロがでるだけだ。
私は「本来の自分のキャラ」を意識し、冷静に企画を説明すると
「人生を賭けてです」
とハッキリ伝えた。
笑いたくない時は無理に笑わず、真面目に企画を語り、率直に意見と熱意を伝える。
すると、最初は恐そうに思えた編集者も、単にハッキリと物事を言うタイプなだけで、実は熱心に企画を検討してくれていることが伝わってきた。
そして打ち合わせの最後は
「面白い企画なので、前向きに検討させて下さい」
と、優しい顔を見せてくれたのである。
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その後も順調に企画は進んだ。
もちろん一筋縄ではいかず、ときには編集者と共に、緊張の一瞬を迎える時もあった。
しかし、さまざまな紆余曲折を経て、この企画は2019年6月『アイドル、やめました。AKB48のセカンドキャリア』というタイトルで書籍化された。
発売後、おかげさまで幾度か重版がかかり、沢山のメディアに取り上げてもらった。
この本を書いたことで、多くの人に多様なセカンドキャリアを知ってもらえることは勿論ありがたいことである。
しかし、何よりも地味に嬉しいのは、この企画を通じて私自身が「本来のキャラ」に立ち返っている感覚があることだ。
本著の発売直後から、私のもとにはキャリア設計に悩む多くの後輩ライターがやってきた。
そのたびに、会社員として生きる道も、フリーランスとして生きる道も、それ以外で生きる道も、どの選択肢も自分の人生にとって正解ならばそれでいいと伝えている。
なぜならば経験上、キャリアを選択する際に一番重要なのは、居心地の良いペルソナかどうか、つまり「キャラ設定」だと思うからだ。
悩んでも迷っても、これからも私は「自分らしいキャラクター」で、なおかつ「私らしいはたらき方」を勝ち獲ることを諦めたくはない。
サポートをしていただきますと、生きる力がメキメキ湧いてきます。人生が頑張れます。サポートしてくれた方には、しれっと個別で御礼のご連絡をさせていただいております。今日も愛ある日々を。順調に、愛しています。