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太陽系

燃え盛る太陽を中心として、その周りをくるくると周回する星たち。

太陽から生まれた星や、外から来た星もそれぞれのペースでくるくる回る。


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奇跡的に生命という存在を宿した地球という惑星にわたしたちは命を受けて、毎日まいにち、朝と夜の繰り返しの中に存在しています。

ことばを持ち、道具を使い、人類は500万年ものあいだたくさんの命を積み重ねてここまで命をつないできました。


その奇跡の積み重ねの結果、いまの私が存在するのだということをふと忘れてしまうことがあります。


とてつもなく大きな流れのなかで生かされているという感覚と、今日の晩御飯や来月の支払いのことを考えている感覚とはまったく別のところにいるみたいだけれど・・・

きっとこれまでの人類もまた、今日の晩御飯のことと安全に夜眠る場所のことを毎日考えながら暮らしていたのだろうなとも思うのです。


誰と過ごすのがここちよいかを感じながら、誰とこの食事を分かち合うのかとか、どうすればもっとおなか一杯食べることが出来るのか、おいしいものを手に入れることが出来るのかなどと知恵を振り絞り工夫をして、老いや病気や死なんかももっと身近に感じながら、

祈り、歌い、踊り、歓び、悲しみ、祈りの中に暮らしがあったのだろうと思えます。

遠い昔からの人類の営みに思いを馳せてみても、はるか遠いご先祖さまたちと今を生きる私たちとでは、実は大きく変わったものがあるわけではないのかもしれませんね。


太陽を中心として、星々が周回するその営みをみつめていると、

地球のように1年で一周する星のペース、

数百年かけて一周する星のペースなど、

様々なものがあり、それぞれの時間軸にも存在にも特別な意味なんてなくて、

”ただそうある”だけなのだと。


きっと、人の営みもまた同じで、私たちが”わたしたちである”ということ以上になんの意味もなく、それだけでもはや充分なのだと思えてきます。

″存在価値″や″役割″など社会的な側面でジャッジしがちな私たちですが、生命の鼓動が自分の内にあることをただ信じるだけでいいのだと。

ここにあるというだけで、絶妙なバランスの上に全てが整っていて、それはもはや奇跡的なことなのだと、気づかせてもらえるような星々の営み。


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そんな太陽系をモチーフにして織物を作りました。

太古の人々はまさか地球がまるくて、太陽の周りをまわっているなんて思ってもいなかったでしょうね。

けれど、きっと今よりもずっとたくさんの言葉を星々とかわし、星や宇宙のリズムの中で生きていて、

憧れや祈りや崇敬の念をもち、たくさんのGIFTを宙から受け取っていたのだろうと思えてくるのです。

フランスからスペインに抜けて進む、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼旅へいつか出たいと思っています。いただいたサポートは旅の足しにさせていただきます。何か響くものがありましたらサポートお願いします♪