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つぶやきの浜辺

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日々の気づきをつぶやいています。内側に満ちてきた言葉を紡いでいます。 寄せては返す波のように、ただあるがままに。
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自分にとって都合の悪い事実をみとめるのは勇気がいる。けれどそんな事柄の中こそ今の自分の成長のために必要な何かがあったりする。

等身大の自分をフラットに受け止めることができたなら、自分の都合はさておき、前に進むきっかけをその中にみつけることができるはず。

ご縁や導きはある。それをいかに生かすかは自分次第。
いくつもの出会いのなかから、自分をより良く成長させるためにそのご縁を使うとき、個々の成長が、ひいては社会全体をよりよく動かすことにも繋がる。善き出会いをきっかけに、小さな自分を超えていく。

すべての道は叡智につながっている。いついかなる時も、目の前の道を進んだその極みには叡智がある。
辿り着きたいところ見たい世界、思う存分に体験したらいい。
求めるものを辿った道筋の先に気づくのは、道は全て一つの球体の上にあり、真理は全てが統合されたものの中にあるのだということ。

自分の望みを叶えるってすごく大事なこと。まずは、「いつかやってみたい」「いつか行ってみたい」とかずっと思ってた、小さな望みに気づいて叶えてあげるだけでいい。他ごとや人のせいにして、「いつか」なんて遠回しにしていることを実行するだけ。
それは、自分との約束を守るっていうことと同義。

スピリチュアルってむずかしいものでも、遠いところにあるものでもない。どこにでもあっていつも寄り添ってくれているような存在。
困難にあたったとき、よりよく生きるためのヒントを与えてくれたりするもので、どっぷりハマるものでもなく、程よい距離感で必要な時に手を差し伸べてくれるもの。

おみくじ係は思わぬ時にお役目がまわってくる。仕事で接客中にも、お伝えしなくてはいけないことが分かる瞬間がある。不思議な文脈ながら、大概ちゃんと伝わるのが面白い。「他の人にも言われるのですが、やっぱりそうですか、最後の一押しをもらいました」と今日も。出会いは必要な時に巡ってくる。

滞っているのは、どこかに開かずの扉を作っているから。みたくない、触れたくないのはわかる。 でもね、いつまでも扉閉ざしてみないままにしているとそこが原因でどんどん滞っていくもんなんだよね。 扉、思い切って、ひらいて向き合ってみて。びっくりするくらい爽やかな風が吹き込んでくるから!

そんなのは"らしくない"なんて、誰が言ったの?らしさもいいけれど、今その地点で何が見えていて、何を大切にして、どうありたいか?ひとつひとつ手にした感覚のなかで確かなものを実践していこう。
要らないものは捨ててしまって、更新され続ける新しい今の中に、そのままのあなたがいる。

然るべきところにいて然るべきことをやっていると、出会うべくして人と出会う。私はおみくじ係なので、その時その人に必要な何かをお渡しするのがお役目。
ただ、それを受け取るのは相手次第なんだとつくづく感じる日々。ひとりでも多くその方がお役目に気づくように、淡々とやるべきことをやるのみ。

ことばは人と人とを繋ぐ媒体。
その人となりがその言葉に載るからこそ、大切に扱いたいもの。
生きる上での意思や意図や志もまた、そのことばの中に滲んで出るからこそSNSではその人の生き様が透けてみえてくる。
ことばを紡ぐことは、自分のあり方そのものを見つめる作業でもある。

私たちがまずやるべきことは、自分で自分を幸せにすること。深く呼吸をして、自分でいられる時間を大切にし、ちゃんと心も身体も健康にいることに努める。そして、今取り組んでることは本当に自分がやりたくてやっているのかを確認する。
それができてたら大概はうまく回るし、社会貢献になっている。

"途方にくれていた"あの日のことも笑顔で振り返ったり、そんな経験が糧になる日がいつかやってくる。
背負った荷を少し下ろしたあなたが、いつか本当の笑顔になれる日がやって来ますように。
甘くてほろ苦いコーヒーフロートを一緒に食べた今日という日を二人して、笑って話せる日がくるといいな。

人それぞれなんだよね。同じ場にいたとて、その時感じる感覚が全く同じなんてことはあり得ない。何に喜びを感じて、何に痛みを覚えるのかそれは、あなたの中にしかないもの。
そこにある喜びも痛みも味わえることこそが、人として生きる醍醐味。
他との比較なんか意味なくて、生きてるうちこそが花。

パラレルワールドがあって、今とは違う望みの世界へいくための扉があるとしたら。 きっとそれは遠いここではないどこかにあるのではなく、私たち自身の意識や認識をブレイクスルーした先にある。新しい可能性を開くことを恐れず、自身や世界を信頼できたなら、その扉が開かれる準備はもう整っている。