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「心配している人」は本当は「心配されたい人」

みなさんこんばんは、ユシアです。
今日もギリギリの投稿です、もうー。

僕は昨日、こんな記事を書きました。

全然気持ちが整理できておらず
その上短い記事だったのに、多くの方に「スキ」していただきました。
ありがとうございます。

読者さんの反応からするに
共感してくださる方が多いのかなぁ、と思います。

そして今日ふっと「相手のことをうまく心配できている自信はないけれど
もし『心配していること』が伝わったら嬉しいなぁ」
と思ったんですね。
でもそれと同時に考えたんです。

もしかしてこの考えって、すごくわがままなのではないかと。
自分の気持ちを押し付けているだけなのではないかと。

そこで急に心配になって「その人に、自分が心配していることを知ってほしい」
と思う気持ちについて調べてみました。

残念なことに、自分の今の状況にぴったり合う情報はなかったのですが
いくつか興味深い意見を目にしました。

それは「心配している人は、自分のことが心配な人・構ってほしい人・認めてほしい人」
というもの。

これを見たとき「やはり自分の気持ちは
ものすごくわがままなものなのだろうな」
と思いました。

実際に、心配されることが鬱陶しいことってありますよね。
僕は結構ありました。

その頃は「そんなに心配しなくても…」と思ったのですが
逆の立場になってみて「これは心配する方も結構苦しいわ」と感じたのですが
やはり「心配しすぎる」ことは、自分の気持ちに問題があることの方が多いのかもしれない
と思いました。

確かに誰かを心配して、その人のためになるようなことができたり
その人が頼ってくれたら、承認欲求って満たされますよね。

無意識ながらも、そういう気持ちを得たいがために
誰かを心配している人もいるのではないかな、と思います。

心配することが悪いとは思わないのですが
心配しすぎてしまう人は、まずは自分と向き合う時間を作ることが大切なのかもしれません。

[今日の写真へ一言]
シンプルな絵ですが、こう言う気持ちや状況を表したい人は
たくさんいますよね。

20代後半ゲーム好き。Youtubeにてゲーム実況を始めたばかり。好きな人と好きなことをして生きていくことが目標。