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ありがとう

「お産は、陣痛が来てからが長くて、障子のはりが見えなくまで我慢するって言われて、信じてたらね、大変な事になっちゃった」

お子さんの詩は小学生としては暗すぎる」
担任の先生に向かい
「子供の感性にいちゃもん、つけるなんて
ありえない!」

家庭科のパジャマ作りが進まないと話すと
「作ってあげるから、こっそり持って帰っておいで」

「私はね、モデルじゃなくて、モデルさんが着る洋服のデザイナーになりたかったのよ」

「何回目?その西村京太郎?新しい本買おうか?」
「いや、これ、好きなのよ」

頼まれたら、嫌とは言わず必ず使命を果たした。

洋裁好きで子供の頃は良く洋服を作ってくれた。

泥だらけで遊ぶ私の服を
翌日にも着れるようにとすぐ洗い、
乾かして着れるようにしてくれた

あまり裕福ではなかったから
お菓子はたまに手作りお菓子

シュークリームのシューが膨らまないと
毎回、悩んでた

ご飯を炊くのが上手で
夫が「美味しい美味しい」と食べるのを
嬉しそうに見ていた。

ママ友がいっぱいいた。
母を信頼してくれる人もたくさんいた。

だから
私がママ友の一人にいじめを受けた時、
ママ友が助けてくれた


自分勝手な父に対して
私は父と付き合うのがしんどくなり
鬱になった。

このままでは、私が潰れてしまう

私は距離を取る事にした。
母には申し訳ないけれど
私は自分の家族を守らなきゃいけない。

母には父から離れた方がいいと話したが
「そうね…」というばかり

数年前から肺がん、甲状腺の病気を患い、
医師からも完治は難しいと言われていた。

電話口で病状を聞いても
父がいると話してくれなかった。

電話をする事を制限されて、電話してくるのも、用件を話すと切ってしまう。

電話をすると
用事もないのに電話するなと
一方的に切ってしまう。
かと思うと、
「なんで、もっと、頻繁に電話しない、
親が心配じゃないのか!」と怒る。

帰省する事を嫌がる

無理に何かしょうとして
気に入らない事があると
母にあたるから、
距離を置く方がいいと思って、
音信不通にした。


姪からLINEが入った
母が亡くなったと…

お葬式はなし
火葬式だけで終わったと…

取り仕切ったの妹らしい

姪は私に連絡したものだと思ったらしいが
連絡は来なかった。

父が怒って連絡しなくていいと言ったのか
妹が判断した事なのかわからない。

私は父に対して思うところがあるが、
娘は母が大好きだった。
孫くらい、最期のお別れをさせて欲しかった。

妹は昔から私に対して、
『何か』を抱いてる節があった。

疑いたくはないが…

母が亡くなり、妹への見方が変わってしまった。
父に似てるような気がするのだ。

音信不通にしていた私も悪い。
私は親の葬儀には出れないと覚悟はしていた。


でも、母を想う気持ちは常にあった

最近、エッセイの中に母が登場するようになったのは、母との別れが近いという事だったのかもしれない。

母が亡くなる前、微熱が続く日があった。
もしかして、母が「来ちゃダメ」と言ったのかな、母が亡くなった日、私の体が楽になったのは偶然だろうかと思ったりした。

私は母に親不孝ばかりしてしまった。

だから、こうやって
母を思い出し、母の分も生きていこうと思う。

ありがとう
私を産んでくれて

ありがとう
お母さんの娘にしてくれて

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