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漢の人生の「イメージの詩」*反デジタル・アウシュビッツ*歌いつがれるべき

これこそはと信じれるものが
この世にあるだろうか
信じるものがあったとしても
信じないそぶり
悲しい涙を流している人は
きれいなものでしょうね
涙をこらえて笑っている人は
きれいなものでしょうね

男はどうして女を求めて
さまよっているんだろう
女はどうして男を求めて
着飾っているんだろう
いい加減な奴らと口をあわせて
俺は歩いていたい
いい加減な奴らも口をあわせて
俺と歩くだろう

たたかい続ける人の心を
誰もがわかっているなら
たたかい続ける人の心は
あんなには燃えないだろう
傷つけあうのがこわかった昔は
遠い過去のこと
人には人が傷つける力があったんだろう

吹き抜ける風のような俺の住む世界へ
一度はおいでよ
荒れ果てた大地にチッポケな花をひとつ
咲かせておこう
俺もきっと君のいる太陽のあるところへ
行ってみるよ
そしてきっと言うだろう
来てみて良かった 君がいるから

長い長い坂を登って うしろを見てごらん
誰もいないだろう
長い長い坂を下りて うしろを見てごらん
皆が上で手を振るさ
きどった仕草がしたかったアンタ
鏡を見てごらん
きどったアンタが映ってるじゃないか
アンタは立派な人さ

激しい激しい恋をしている俺は
いったい誰のもの
自分じゃ言いたいのサ
君だけの俺だと 君だけのものだと
裏切りの恋の中で
俺はひとりもがいている
はじめからだますつもりでいたのかい
僕の恋人よ


古い船には新しい水夫が
乗り込んで行くだろう
古い船をいま動かせるのは
古い水夫じゃないだろう
なぜなら古い船も新しい船のように
新しい海へ出る
古い水夫は知っているのさ
新しい海のこわさを

いったい
俺たちの魂のふるさとってのは
どこにあるんだろうか
自然に帰れっていうことは
どういうことなんだろうか
誰かが言ってたぜ
俺は人間として自然に生きているんだと
自然に生きるってわかるなんて
なんて不自然なんだろう


孤独をいつのまにか
さびしがりやと勘違いして
キザなセリフをならべたてる
そんな自分をみた
悲しい男と悲しい女の
いつものひとりごと
それでもいつかは
いつものように慰めあってる

作詞 吉田拓郎

1970年代前半までの学生運動が、さかんに行われた時代。

私にとっては、後になって意味を知るニュースでしかないけれど、
フォークソングと言う泥臭いメッセージ性のものが歌われた時に、
突如として字余りな普段着のような歌詞に、ほんわかのメロディ。

( 吉田拓郎の曲みたい )と気づいてしまう個性ってすごいと思う。

今の混沌さに入り組んだ、単純で即物的が好まれる時代には、
この歌詞ってどういう意味なんだろう?と面倒に思う若者は多いのかも。

パラレルワールドのような詩の世界に、陽気さと、前向きさと、皮肉と、
変わらない確かな、受け継ぐ人間の心というものが感じられて、
いまの70代から80代に向かう世代が、吉田拓郎を好きになったのが分かる。

昨今の政治のニュースのあれこれに、思い出してしまった曲でした。

これからこの国は、どんな舵取りをしていくんだろう。



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