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とりもどすイーハトーブ*海嘯記

盛岡のカドワキ先生は耳鼻科の名医だ

先生は人格者で名古屋大学をご卒業なさった

それに北海道大学の先生なんかも治療に来てた

会ったことのないカドワキ先生なのに
小さい頃から知っている


父さんがカドワキ先生のことを語りだすと
尊敬の念を込めて スラスラと熱い言葉が出てくる

そのあとは必ずアベさんとアベさんの奥さんが登場する

二年位前からは 初めてマルヤマさんが登場しだした

妹がファンで 良くテレビで見ていると聞いたからだ

私だって 本なら何冊か読んでいたのに


「いや~今そんなに人気のある人と知らなかったからな」

名医のカドワキ先生の病院で入院していたある夜
仲良くなった婦長さんが手招きした

「ちょっと来て来て」

芸能人らしく時間外にやって来たマルヤマさんの診察を
ズラリと看護婦さんが並び 父さんも婦長さんと並んで眺めた

「いや~気持ち悪いほど綺麗な男だった」

それでも すぐにカドワキ先生の賞賛に戻るのだ

「先生は 当時日本で3本の指に入る名医だ」

父さんの気分で カドワキ先生は5本の指に数えられたり
おかしなことに2本の指に数えられたりもする

たぶん20回もカドワキ先生の話を聞いたあたりで
日本で1番ではなかったんだろうという結論に行き当たった

「うちの息子も頼みますよ」

手術を終えた父さんを 祖父がほっぽりだして帰った

となりのベッドのアベさんの奥さんが
ついでとばかりに あれこれと父さんの世話をしてくれた

それから仲良くなったアベさんとアベさんの奥さんを
お宅まで 手土産持参で訪ねたこともあった

「ひとに何かあると親身になって・・・
 ともかく学校の先生らしくない人でしたよ」

アベさんの奥さんは 花巻の叔父さんのことを時々話してくれた

「いや~そんな立派な人とは知らなかったからな」

父さんはそういってまた、アベさんはこういう仕事だとか
アベさんちには立派な蔵が二つあるとか熱く語りだす

それからやっぱりカドワキ先生の賞賛に戻るのだ

父さんはいつもそうだ いつも自分の興味とか思いとかが優先する

丹精込めて作った庭が津波に流されても、飄々としてどこ吹く風だ

新しい住居への夢を語り 相変わらず土いじりを楽しんでいる

仮の我が家の庭先に立て札を作ろうか

「父ハ下ノ畑ニヲリマス」

この頃はテレビや新聞で見た 都会ならではの苦労に思いを馳せる

節電の苦労や 買い物の苦労や 思い続ける苦労をひとりねぎらう

「気の遠くなることだ いつまでこんなことが続くのか」

父さん また自分のことは忘れてる

でも大丈夫だから きっと

南には50人のグスコーブドリがいたらしい

それに今 なんだかこの日本中に賢治がいるみたいだし


北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろといい

日取りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き

みんなにでくのぼーと呼ばれ

褒められもせず 苦にもされず

そういうものに わたしはなりたい


みなそれぞれのディスプレイというものを持って、
自分の人生とその風景を眺めているのじゃないかと思う。
そこに写されるものが自分なりの、平凡でも、大切な宝物のような日常だ。
自分以外の回りの人や出来事に振り回される時に、
想いを寄せすぎても、自分自身が見えなくなってしまう。
他人に入り込みすぎて、自分を犠牲にしてしまうと
自分の持つ核のようなものが分からなくなってしまう。
みんなひとりぼっちだ。
そうして、ビッグデータの図のように、誰かや何かと触れ合ったり、
ほんの少しや、或いは大半を共有したりしながら、暮らしている。
「あの人は私」と言える程の出逢いは、星をつかむほどの幸運であり、
恐ろしいほどの不幸になる。
出逢ったとたん、みんな平等に別れに向かっていくことになる。
それがこの星の最大のルールだ。
子供が一番学ぶべきは孤独と別れだと思う。
それを知れば、みんな平等に、
その先の出来事も出逢いも、すべてが奇跡の人生だと分かる。
ひとりひとりが奇跡の中に暮らしている。

(ヒドリは日照りではなく、日雇い労働の解釈の方を私は取ります)

2011年にクローズドの掲示板に投稿しつづけた散文を、
もう、空にでも手放してしまいたいと思う。
直したいと思う文章もそのままに。

数え切れない大勢の方に感謝と尊敬を込めて。
今日で毎日note110日目。

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