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黒い花《赤いバージョン》松本竣介

赤と黒は、とても派手で強力で目立つ組み合わせだ。
黒はどんな色も飲み込んでしまうものだし、
赤はこの世の燃え盛る命の源だ。

お互いに引き立てあいすぎて、反発しすぎて、見た者に
有無を言わせず黙り込ませてしまうこともある。

「会場で、一番目立ってる」と
教えてくれたのは、真っ赤なサテンのドレスに、白のタイツ、
黒のリボンと黒のエナメルシューズの、私の小さな娘の姿のこと。
「どうして私にはみんなのように前髪がないの?」と
直談判された時、「あなたはとても額が綺麗だからよ」と
誤魔化した。前髪のくせ毛がクルンクルンとして、
手に余るからとは、説明が難しかったことまで思い出す。


知り合った商業デザイナーさんは細やかで、
正義感を持ったレディファーストの品が良い方。
「好きな花はカサブランカ」と大輪の白い百合の名を告げた。
ちょっとゴージャスを身に付けた男性。
専業主婦の奥様はバレエを習っていると話してくれた。
時々、幼い頃に亡くなった実母への思慕を語りだす。
彼の世界では、孤独に立ち向かう物語が揃っているのだ。
そして「好きなのは原色」と思いもかけないことを言う。
不釣り合いな気がして、(そうなの?)と言葉を飲み込んだ。

原色は世界のベースだからかも知れないし、
仕事への情熱を支えてくれるものなのかも知れないし、
単に明るく元気にさせてくれるからかも知れない。
その理由をちゃんと聞けずにいたことは、後悔のひとつだ。


絵や写真や何かの物語でさえ、そのときどきで胸に残るものが違う。
たとえば大人になって開く「アンネの日記」は読んでしまうのは行間だし、
難しいものは味わい深いものになっていたりする。

「人の心ははうつろうもの」

昨日の私は今日の私と同じだけど、
明日の私は昨日の私と違っていたりする。
それは知識ではなく、経験が形作っているのだと思う。
私が私でないようなものになって、脳がだまされてしまうことだってある。

あの時松本竣介の「黒い花」に心を奪われて、部屋の片隅の
毎日の視線の先に飾った。月日が経って生まれた問いは、
(どうしてこの絵を美しいと思ったんだろう?)ということだ。
日常の中に許される陰鬱さなのか、と眺めつづけても、
自信のある答えはなかなか出てこなかったのだ。

それからまた月日や悲しみを重ねても、「黒い花」は
小さなイーゼルに飾られたままで私の部屋にいる。
変わらないのは、この赤は美しいという事実。
変わったのは、この絵は共感性を持って癒してくれると気づいたこと。

細部を見れば、語りたくなることは人それぞれだけれど、
「赤い花」や「炎の女」とかいう絵ではなくて、
一見気づかない細軸の「黒い花」なんだと、その存在に気付いた時、
この絵は、私を私にちゃんと向き合わせてくれる。
1940年9月にキャンバスに咲いた黒い花は、時を超えて私を魅了する。

松本竣介・まつもとしゅんすけ(1912-1948)終戦の昭和20年、平和な時代を迎えて再び制作に没頭できるようになりましたが、 戦時中の疲労や栄養不良がたたって竣介は健康を害してしまいます。 昭和23年6月、第2回美術団体連合展に出品作を搬入はしたものの、 会期中一度も会場を訪れないまま36歳で息を引き取りました。


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