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体の声を聞いて、去る者は追わず

朝起きて最初にすることは、東向きの窓のカーテンを開けること。

今日は雨模様。

空はどこまでも薄墨が広がっていて、今にも降りだしそう。

昨夜は20時を過ぎると眠気が襲ってきて、
ぼんやり見ていた動画が眼を開けたら終わっていて、
(まずい、まずい)と思って、テレビを消した。

そう言えば昨日は朝から頭が重くて、
痛み止めを飲んで仕事に出かけたことを思い出した。

それで慌てて、
(今夜は早く寝よう)と21時になる前にベッドにもぐりこんだ。

季節変わりや気候の変化には、なるべく体が付いていくように整える。

なんなら宇宙天気予報も参考にする。

いつも理由を探してしまうからだ。

ちょっとだるい。

ちょっとお腹がすっきりしない。

ちょっと暗い気持ちになる。

ちょっとやる気が起きてこない。

いつも、ちょっとの何かが私の神経を重くする時に、理由を探す。

カレンダーを見て、夏至が理由になったり、
ニュースを見て、梅雨入りが理由になったり、
吹き出物を見て、忙しさが理由になったりする。

原因が分かると、少なくとも日にちが薬になるので安心する。

考えに悩まなくていいから。

どうにもできない時は、
(私にだって不定愁訴は関係あるはず!)と断言してみる。

だけど問題なのは人間関係だ。

「去る者は追わず来る者は拒まず」というのは良く聞く言葉だけれど、
去る者を追ってしまうことに、上手く出来ていない自分を知る。

特定の人や特定の理由に対して「特別感」を持ってしまうことがある。

その人はこちらに「特別感」を抱いている訳ではないのですれ違う。

かといって、「特別感」を向けられたら、きっと居心地悪いとも思う。

時々「交友関係が広い」と言われるけれど、
それは年齢を重ねたせいか、たまたまそう見えるだけで、
広いかも知れないけど、そう見えても浅いのだと答えてきた。

ある時ふと思った。

「去る者追わず」が上手く処理できないから、
神様がそういう人間関係を作ってくださったのかな、と。

たくさん練習をして、たくさん経験を重ねて、去っていく人を、
その人自身のことを、ちゃんと考えてあげるようにしてくれたのかな。

そうすると自分自身も楽でしょ?って教えてくれてるのかな、と思う。

あの人といると引きずられてダメでしょ?とか、
あの人といると生活が変わってしまってダメでしょ?とか、
あの人といると無為な時間ばかり過ぎてダメでしょ?とか、
あの人とあなたの人生の交わるところはここまででいいでしょ?と、
教えてくれるような瞬間がある。

そんな風に、体のどこかが声を発しているような気がする。

そんな声だけが毎日の頼りだ。

起きていても、ちゃんと気持ちを眠らせて体を休ませている。




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