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A_018 2023年という瞬間に残したい写真

ハロー2023年。
前回の記事から1年近く投稿をしていなかったため、もはや何を書いたらいいのか整理すらつかない状況で描き始めた2023年最初の記事です。

この間に私に起こっていたことは・・・
 1.2回目の個展が終わり、気づけば3回目の個展をやっていた
 2.毎月の撮影は10件前後
 3.4月から本業の会社員でマネージャーになった
 4.撮りたい写真が見えなくなっている
変わる契機になる出来事は、1・3・4でしょうか。とにかく忙しいのですが、個展をやった影響は自分の中に大きく影を落としており、スタイルが大きく変化したように感じています。それが悪さをして撮りたい写真が見えないという状況を生んでいます。
写真を撮っている人に質問です。
「あなたはどんな写真が好きで、どんな写真を撮りたいですか」

物語性を重視していたシネマティックポートレート

写真を始めた当初、撮りたいと思っていたものはこちらに書いています。同時に、これは撮らないと言ったものも。

どちらかといえば、動的な、動き出す前の瞬間や感情が映り込んだものをどうにか写真にしようと足掻いていました。個人的な分析では、動的なものほどAF性能が重要だと考えており、現状のレンズではそれが叶わず動きが止まっているのかと思っています。そんな分析よりも大切なのは心の問題。
結局、自分が撮りたいものがわからなくなってしまった。そんな瞬間とどう出会うのかが見えなくなった。動的なもの、物語性、それを留めての写真。心が動かない。これにつきます。

文字に起こして整理する

言語化する。
ものづくりでイメージスケッチをするのと同じで、何かを始めるときや整理するときに、ブレストしたり、マインドマップを描いたりすることがあります。
今この記事を書いているのもその一環です。下手くそなりに文字にすることは大切で、特に僕のような独り身の人間は、自己対話で気を紛らわすのには適している瞬間です。
一言で言えるのか・・・。すごく考えるほど考えてもいないのですが、答えはシンプルです。
「自分の撮りたいものを再考する」
おそらく、こうなんです。
「動的だけど静的なもの。一つ進んで、静かで優しい写真」
柔らかさに似た、それでいて静謐な。人の写った写真。

被写体に依存するのか

ポートレートで作品を作ってるからには、人が被写体。被写体に依存をすればいくらでも良さそうなものです。素敵だなと思う被写体は、被写体が素敵というのはもちろんですが、撮り手と写り手の組み合わせ。組み合わせの妙を羨まし感じているだけで、そこに自分が撮ったらの視点は欠けています。人間性ではなく、ルッキズムが優先されて被写体を選ぶ。この依存パターンは僕にとって望ましくないです。
だから、どんなに素敵でも人間性に惹かれないと食指が伸びないようになりました。


冷めた目で見えるのは、作品は写り手だけで成立しないからだと自覚しているからです。昔は、単純に僕もあなたを撮ってみたいだったから強かったのかもしれません。今は、違うよね。

2023年どうする

作品性を単写真で向上させることが現状の課題。
組むことを意識して撮らなくなったというのは嘘ですが、ここに使う力があまりにも重くて普通に振り回せない状況にいます。まとまらない自分にもイライラするし、今これを打ち込んでいるデスクのレイアウトにもイライラしています(笑)。とにかく、やっぱり撮るしかない=2023年
ちょっと衣装やメイクに工夫をしたり、寄りの写真を増やしたり手段系を変えることから始め、「静かで柔らかく仄暗い影を纏った優しい写真」がああ!これだとなるまでまずは挑戦ですね。

全然まとまらない・・・。まとめることができたら、また記事にしようと思います。なんだかがっかりです。疲れているのか。笑。

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