知らない方が良いこともあるから
嬉しかったり、楽しかったり、悲しかったり、怒ったり、モヤモヤしたり。
感情が動いたときに、私はいつも一人でカラオケに行く。
私は、感情が動いたときは、その感情を誰かと共有したくなるのだが、丁度良い誰かなんていない。
感情が動く度に誰かに伝えていたらキリが無いし、迷惑だ。それに、それぞれ違う人間。感じ方なんて人それぞれなのだから、感情をそっくりそのまま共有すること自体、不可能だ。
そこまでわかっていても、共有したいという気持ちが出てきてしまう私は、甘えたがりなのだろう。私、一人っ子なので。
だから、感情が動いたときには、共有したい気持ちをどうにか発散するために、カラオケでひたすら声を出す。
ハウリングしようが、店員さんが飲み物を持ってこようが、団体のお客さんが私を見て「一人でめちゃくちゃ必死に歌ってるじゃん」とからかう声がドアの外から聞こえようが、中断することなく、ひたすらデカい声を出し続ける。
そうすると感情を共有する丁度良い誰かがいない寂しさも、何となく忘れられる。
最近は良くも悪くも感情がそんなに動かず、平坦な日々を送っていたので、しばらくカラオケに行っていなかった。
今日は久々に感情が動くことがあったのでカラオケに。
久々にデカい声を出すと、うまいデカい声の出し方がわからなくなっていた。痛くなるノド。
今後はもっと感情を動かさないといけないなと危機感。
ひたすら声を出していると、すっかり夜。
カラオケの代金も結構かかってしまったので、家まで1時間くらいの道を歩いて帰ることにした。
帰宅途中、一軒の家の玄関の植木鉢に、アサガオの花が一輪だけ咲いているのを見つけた。
この季節のアサガオ。なかなか厳しい環境だろうに、青紫の花びらをピンと伸ばし、必死に咲いている。
一輪だけだから何があろうが、仲間と気持ちを共有できず、寂しかろうに。
そう思うと、何故か自分と重なって見えてきて、知らない人の家の前で、しばらくアサガオを見つめていた。
アサガオと心が通った気がした。
しかし、よく考えると今は夜だ。アサガオがこの時間にこんなに綺麗に咲いていることなどありえるのだろうか?
アサガオがいる玄関から、優しそうなご婦人が出てきて「こんばんは」と挨拶してくれた。私も「こんばんは」とだけ返してその家の前を去った。
一瞬、アサガオが生花なのか造花なのか尋ねようとしたが、やめた。
知らない方が良いこともある。
今日は久しぶりに動いた感情をあのアサガオと共有できたことにしよう。
そうすれば今日はそれだけで、良い日。
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