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見る読む食う日記 240805-0811

8月5日(月)晴れ?くもり?

あまり仕事もなかったので、ほとんど横たわって過ごす。
斎藤美奈子『あなたの代わりに読みました』を最後まで。どれもあまりに明快に要約されていたので、ぎゃくにひとつも読みたくならなかった。以前、父に、私が好きな映画のあらすじと魅力を力説したら、「なるほどね。観なくてもいいくらいよく分かりました」と言われて、観てもらえなかったことを思いだす。
1日何も楽しいことがなかったので、夕飯を食べながら酒を飲む。そうしたら4時間ほど眠ってしまい、起きたら24時で後悔した。

8月6日(火) くもり

在宅仕事のあと、舞台「正三角関係」を観に池袋へ。
野田秀樹はじめ、シニアの俳優部の躍動めざましく、その気力体力に圧倒される。帰り道、鑑賞済の友人に感想をLINE。ちょうどうちの最寄り駅にいたようで、合流して話を聞いてもらえることになって喜びにあふれる。
しかしいざ友人を前にすると、舞台の感想ではなく昼間の仕事の愚痴が出てしまう。「私が間違ってますかね!?」と縋ったら、「間違ってるのかもしれませんね……」と言われてハッとする。

はやめにベッドに入るも、昼間、私のことを激しく軽蔑しているような気がする仕事相手に強い語調で質問攻めにされたときの感じを思い出して眠れなくなる。
彼は私に対して特別に対応が厳しいので、たぶん私個人には何か問題があるのだろう。そんな人間のことは誰もが嫌うだろう。最近、日に何度か、「xんだ方がマシですよね、自分みたいなもんは」と思う。頭に浮かんだままそれをを口にしても、現実味はない。自分の落ち込みが自分でいちばん鬱陶しい。早く元気になれや。たぶん4時頃就寝。

8月7日(水)晴れのちくもり、時々雷雨

出社。私のことを激しく軽蔑していると思しき人のフルネームでFacebookを検索する。共通の「友人」がいたこともあり、一瞬で年齢と出身校(中学~大学)が判明。そのあまりの簡単さに慄然として、自分のアカウントを削除する。
昼休み、二村ヒトシ『あなたの恋がでてくる映画』を読み始める。最近ぜんぜん映画を観られていないので、映画評を読んで観た気になろうとしている。

帰りがけ、他部署の怖い先輩とエンカウントしていろいろ言われ、元気を削がれる。

朝、友人に仕事の愚痴をLINEしていたら、ふだん遅くまで働いている彼女が「今日仕事早く終わるから夕飯食べようよ」と誘ってくれた。
スシローとコメダ珈琲に行った。いろいろ話を聞いてもらって、帰りは路線が違うのに私に合わせて遠くの改札口まで一緒に来てくれて、なんてありがたいんだろうと思った。同時に、このレベルの親切をもういちど彼女から搾取するには、一定期間(少なくとも数か月)空けないといけないよなあと思う。これ、たとえば来週、今よりしんどくなっていたらどうしようと不安になる。その時彼女には吐露できないということだ。そうなると他の友人に話を聞いてもらおうとするのだろうが、なんか、そうやってローテーションみたいに考えているのってあまりにも下品なんじゃないか。

帰り道、雷雨。

8月8日(木) 晴れとかくもりとか

ちらほらと仕事をして、夜、少し前に1週間だけ付き合っていた(?)人と焼肉を食べる。今の私、仕事の愚痴がメインコンテンツになってしまっている。私から、何も差し出せるものがない。会計を多めに持った。私の方が1杯多く飲んだし。さくっと解散。

ビール→ハイボール→ワイン→焼酎とちゃんぽんしたからか、帰宅後酔いが回って眠ってしまう。起きてから、二村ヒトシ『あなたの恋がでてくる映画』を最後まで読む。「博士と彼女のセオリー」、夫妻の間に子供が3人もいたことに驚く。元気だ。

ああ、映画館に行きたい。オフィスと家までの間に好きな映画館がなく、ぜんぜん行けていない。

8月9日(金)晴れのちくもり

出社。林奕含『房思琪の初恋の楽園』を読み始める。37歳年上の「先生」から継続的にレイプされていた少女の話。覚悟はしていたが、読んでいると精神を雑巾絞りされるようなつらさ。

Twitterに流れてきた漫画を読み、学校に全然いい思い出がないことを思い出す。私のことを嫌っていたっぽい同級生や、執拗に呼び出して説教してきた教師のことを思い出して息苦しくなる。多くの生徒は、保健室や図書室の方が教室より居心地がよいなんて思わないのだ。教室で十分な快適さを得られなかった自分の社会性の低さ・協調性のなさ。うっかり会社で働けているので、忘れそうになる。

早めに退勤し、友人がうちに来てくれて夕飯。ヒレカツ、しめじとベーコンのパスタなど。
彼女の高校時代の話を聞く。「放課後、学外の男9:女1のコミュニティで、私の取り合いが起きないように、戦略的にパートナー(彼氏)を作っていた」と言われて衝撃を受ける。

8月10日(土)晴れ

先輩夫婦2組に誘われて阿佐ヶ谷の七夕祭りへ。
夫婦間では「水飲みな」とか「顔赤いよ、暑い?」とか「(口の周りに)なんかついてるよ」という会話が複数回行き交っており、家族というのはそういう気遣い(ケア)を許しあう関係なのだということをまざまざと見せつけられる。私も熱中症にならぬようこまめに水を飲み、口の周りが汚れているといけないので食事しつつこまめに拭いた。寂しかった。

翌日、地元でバイオリンのレッスンを受けるために実家へ。
両親は相変わらずラブラブで、実家はもはや私なしのコミュニティとして明るく運用されている。
離婚した知人の話になり、「経済的なメリットもないのに、無理して結婚を続けることはできないだろう」と発言したら、「結婚というのは経済的なメリットがあるからするものではない」と母に言われる。つい、「でも結婚以来あなたは基本的に父が養ってる形ですよね」と言い返してしまった。

夜、母が「明日ごはん作るのめんどくさいなあ。でも、ちゃんと作って食べさせろって言われたからなあ」と虚空に向かって愚痴っていた。「もう居ないよ」と指摘する。「死んじゃったからね」と返ってくる。この人に義母がかけた呪いが、まだ解けていないことを知る。恐ろしくてたまらない。

8月11日(日)晴れ

林奕含『房思琪の初恋の楽園』を読み終える。なぜ加害者視点がこんなにも鮮やかに描写できたのだろう。小説としてものすごくすぐれていて、ぐんぐん読んでしまったが、実在の事件をもとにしている(著者の私小説的な作品ではないかともいわれている)となると到底受け止められないほどきつい。 

バイオリンのレッスンへ。指先が上手く動かないのは呼吸が上手く通っていないからだと言われ、呼吸を意識するとすぐに指先の動きが改善して感動する。
私の演奏について、「まあ、音楽的に間違ったことは起きていない」ときわどい悪口を言われて苦笑する。とにかく技術が足りていない。

都内に戻り、紀伊國屋ホールで「朝日のような夕日を連れて2024」。
「ゴドーを待ちながら」を知らないので、太宰治の「待つ」みたいな話かな?と思いながら鑑賞する。終演後に調べたところ、全然違った。

友人ふたりと夕飯。「家で読書するときは、つい携帯を見てしまわないように、携帯を手の届かないところに置く」と話したら、読書家の友人に怪訝な顔をされる。
彼女はあっけらかんとしていて、「本当に読書に没頭している時は携帯見たくならないし、つい携帯を見ちゃうってことは読書に集中できてないってことだから、別にそれでいい」らしい。自己受容ができていてすごい。私は読書に集中できず携帯を見てしまう自己を受容できていないんだ。

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