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飲んだ日日記 20240205

 わずかな仕事とわずかな同人誌作業、昼食とおやつ、それ以外はずっと寝ているような状態で夜を迎えた。外は電車が止まるほどの雪だと分かっているが、「今日は一歩も外に出なかった」という事実に耐えられる自信がなかったため、最寄りの小さなスーパー(徒歩2分)へ行く。
 明日こそ路面凍結でいよいよ外出が困難なのではないか。明日は買い物に出ない前提で買いだめをするか、と思うが、店内はそれなりに品薄になっている。みんな考えることは同じで、かつ、私より先んじているということだ。
 麦焼酎や食材を買って帰宅。筍の土佐煮、だし巻き卵、にゅう麺など食べながらダラダラと酒を飲む。うーん。1700円の好きな芋焼酎に目をつぶって買った1000円の麦焼酎の味がする。中途半端な吝嗇は誰のためにもならない。

 吉本ばなな『はーばーらいと』を読んでいたら、本文の途中(序盤)で特殊紙の表紙が挟み込まれて驚愕する。「映画ならここで絶対にタイトルがでるよね」という箇所。アバンタイトル……と思う。映画すぎる。小説を読んで「映画すぎる」という感想を抱くのはあまり適切ではないか? なんか嫌だよね。マンガ読んで「映画みたいで素敵」とかさ。音楽を聴いて「小説のよう」とかさ。でも私さっきツイッターで、きのう読んでめちゃくちゃよかったハン・ガン『そっと、静かに』のこと「ラジオみたいな本」って書いた気がする。こういう議論って既出も既出だけど。でも本読んでる時に映画用の受容体(概念)を触られるとすごい驚くから、驚いたことって印象に残るからつい感想として最初に出てきちゃうんだよな。要はただ「びっくりした」って言ってるだけで、そうなるとますます情報として価値は低いからわざわざ書くようなことでもないな。ラジオが好きな人はラジオみたいな本読んでもラジオへの愛を深めるだけだろうし。ラジオだけが好きな人はラジオだけ好きでいてください。(悪口)

 ラジオといえば、というか私がここ最近思い詰めていることがある。
 先日、前職で大変お世話になった先輩たちと飲みに行った。たぶんそれがきっかけで、後日、そこにいた先輩(ナイスミドル)から、おすすめのラジオ番組のURL(radikoの)が「おもしろいよ」と送られてきた。知らない番組だったけど聞いて、来週も聞こうとまでは思わないが普通に面白かったので、好意的な感想を書いて送った。加えて、こちらからもボールを投げかけるつもりで、私の好きなPodcast番組、の最近最もよかったと思われる回の要旨がまとまっているツイートのURLを送った(番組は1時間あるので、普通に考えて聞かないだろうと思い、配慮のつもりであった)。
 すると、上記の投げかけは一切スルーされ、しかしその上で、また別のおすすめラジオ番組のURLが送られてきた。
 この時に感じた不平等感。いらだち。相手に尊重されていないような被害妄想。自己否定感。
 人付き合いはギブアンドテイクが基本で、貸借は大まかにでも常に精算されていないと、関係性は腐敗か頓挫すると思う。金銭だったり、時間や体力についてはそうとして、「おすすめ」はどうか……? たんに会話でやりとりされている情報に過ぎない(例:「●●おすすめだよ」と、「昨日オムライスを食べました」は同じ)と考えるべきなんだろうか。
 そもそも私が可能な範囲で人のおすすめに従うようにしているのは、主に三つの理由からで、

①自力で得られる情報だけで視野狭窄になるのが怖い
②私はおすすめしたものを試してもらえるとうれしい。だから相手もうれしいはずだ。私はこの人と親しくあるために、この人をうれしくさせたい
③おすすめしたものをすぐに試す、フットワークの軽い人間にあこがれる。
 
 こうしてあらためて書いてみると、驚くほど自己保身的・自分勝手な理由で人のおすすめを試していて気持ちが悪い。こんなことをせずに私のおすすめを無視して自分で選んだものを淡々と食っている人の方が健康的だ。
 でもとにかく、私は、おすすめをスルーされると主に②の裏返しで傷ついてしまうのである。自分で選んだわけではないものを試すとき、多少のストレスを感じているからこそ、その対価を相手に求めてしまう。あまりに不健全で恐ろしい。
 でも私は、時々無理して人からのおすすめを試すことをやめられない。①が与えてくる強迫観念(しょせん自身の知り合いが集めてくる情報の多様性など……という批判はじゅうぶんあり得るが)や、②みたいなつまらない期待(私がおすすめに従ったところで相手が私に好印象を持つとは限らないのに)や、③の自己欺瞞(本当にフットワークが軽い人はそもそもこういうことをねちねちと考えない)でがんじがらめになっている。
 もちろん全部のおすすめを試すことはやはりできていない。そのことも日々私に重くのしかかっている。おすすめしてくれた人たちごめんなさい。

 でも今回のラジオの件については、どうすればよかったかは明確だ。私は、人からおすすめを言われた後、尋ねられてもいないのに自分のおすすめに言及することを絶対にしてはいけない。私が一方的におすすめを述べているだけなら、相手がどんなにそれを無視してもただ貸しが積みあがるだけなので、それは「おすすめに関して貸し借りという概念のない世界」として自分を納得させればよい。でも相手がおすすめをしてきて、それを私が試してしまうと、私の中で借りを返したような感覚になり、世界に貸し借りの概念が生まれてしまう。
 心が狭すぎて笑ってしまう。こんなこと人に言うべきじゃないよ。

 ちなみに今、その先輩からのおすすめラジオLINEを、一週間既読無視している。「明日まで無料できけるよ」と言われていた。納期1日は厳しすぎないか? 当然聞けていない。でも先輩なので何かは返信しないと……同じ番組の、今週の回を聞いて感想を送るか。いやそれじゃダメだ。
 正解が分からない。「バタバタしてたら期限過ぎちゃって聞けませんでした……またオススメあったら教えてください!」だろうか? できれば、もう二度と送ってこないでほしいが……ほらやっぱり、私は何にもフットワークの軽い人間ではないのだ。呆れる。

 最近、以上のような「おすすめ貸借問題」についてずっと思い詰めている。要するに暇ということで、恥ずかしい。日常に生産的なことが何もない。

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