日々徒然13 いなくなりたい②
この間の学びあいで聞いた話
なんで生きているのかが、純粋に疑問な方がいた
というのも、周りのお世話にならないと生きていけず、気が付いたら孤独死していた
生活すべてがいい加減で、周りのサポートでかろうじて人として生きている状態だった
何を思ってこの方は生きているのだろう?
でも、その方の話になると、みな口をそろえて「なんだかかわいらしい人だったよね」
師匠は一言
「その方は周りの愛を引き出すために生きていられたんですね」
そして、その方を支えていた方は
「息をしているだけで、生きているだけでこんなに人っていいものなんだ。と、こんなんで、人っていいんだ。ダメダメだと思われることであっても、いいんだ。」と棚卸し、さわやかに微笑んでた
私は
昔から「いなくなってしまったらいいのに」
と、自分に対してつらつら思い出すことがある
昔は「消えてなくなれ自分!」だったけれど
今はちょっと変わった気がする
おそらく子供の成長とともに変化して、自分の価値というか、意味というか、尊さなんかが、自分自身というよりかは
「生産性」
という「役目」にターゲットがシフトしたのかもしれない
そして、今の「いなくなりたい」
は「期待される生産を確実に行う!」という欲求の反対の表れかもしれないし
つまり「期待される生産を行いたいけど、今は出来ない」
又は、「もうお役目ごめんとして、私の手を離れた」
という実感、充実感に似たものなのかもしれない
そう考えると
「期待されるであろう、生産」とは?
となってくるけれどそれも又今度
今は
「生産活動をしていなくても、自分で自分によしと心から思えるようになりたい」
と願ってしまう
そして、いつも思い浮かぶのが
さんまさんの
そう思えるようになりたいなあ
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