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この一年でぶつかった中で(大小をつけるのであれば)一番大きな問題。 芸術は本当に人を救えるのか、芸術は本当に人々に必要なのか、本当に本当か。 という問いがずっと頭の中を駆け回っていた。 病人を芸術の力で死から遠ざけることはできない。 死を迎えなくてはいけない人が、芸術を摂取したところで、結局そのうち死んでいく。 コロナ禍において、亡くなっていった人々のニュースを見て、芸術は何も救えないじゃないかと思った。 3月。私の大切な人は、私が大学の合格発表を伝える前に逝ってしま
※下記は全て超個人的感想であり偏見に基づく解釈であり考察であり完全な妄想であり虚構です ※『青の炎』のあらすじ等は省略します、ネタバレ有ります 『青の炎』は、小説と映画では異なる設定がいくつかあるので、個人的には違う作品として捉えているけれど、同じ作品として捉えられる部分も多々あるので、今回は共通部分に焦点を当てて書くことにします。(小説と映画の両方の考察を書こうとすると、私の語彙力も言語化能力も精神的余裕も全く足りないので諦めました。いつか。) 『青の炎』という存在につ
本気で憧れた生活、環境、未来像。目標のような夢。夢のような願望。 未練はダラダラ溢れ出てくるし、「もしかしたら…」が止まらない。少しの可能性に縋りたくなってしまうくらいプライドが高く、高望みばかりする。現実知らずで理想ばかり掲げて眺める「理想主義者」。だから、何かを思い通りに成し遂げられなかった時、見ていなかった現実を受け入れなければいけない時、自分はとてつもなく弱くなる。理想ラインから現実ラインに真っ逆さまに落とされる。現実を嘆き、理想を叫び、「今あるもの」が見えなくなる
「成蹊で日本の政治を担うのは無理」と言う人がいるけれど、 40代で大学受験をしていることをバカにし、嘲笑する人がいるけれど、 「あんな風にならないように」「いい大学に入っていい企業に入って、あんな下層に入らないように」「あんな風に苦しい生活にならないように」頑張れ、と言うけれど、 違う。全然違う。 全然違うと言い切ってみたい。 他人が測る誰かの価値は、所詮数字やらで決まるものなのかもしれない。そんな社会なのかもしれない。 でも自分の価値を、数字で持ち上げようとする子ども
誰にとっても誰でもない存在。
感情を表に出すと、物凄く強い“力”で抑え込まれる。感情を表現したら、すぐさま、その“力”が飛んでくる。今日は大丈夫かもしれない、と期待をしては、容易くその期待を、あなた方は、消し潰す。次第に期待は絶望に変わり、感情が表に出ることは、無くなっていく。 何か言葉を発しようとすると、すぐそこに、抑え込まれていた感情が乗っかろうとする。まるで扉が開くのを今か今かと待ち続け、早く出たい出たいと強く願い、他人を押し倒してでも外に出ようとする、満員電車に閉じ込められている人々のように。 何
樹は、地に深く強く根を張りながら、花は、天を目指し強く儚く咲き誇る。そして、青に照らされながら舞い散り、地面を白く染める。 舞うように散るという表現は、桜以外には似合わない。人間には似合わない。 咲かずに落ちるものは、舞い散ることは許されない。 大嫌いなこの場所で、私の花は、咲かずに静かに落ちた。 全てしょうもない、と捻くれたことも ここは刑務所だ、と悟ったことも ここを離れよう、と意気込んだことも ここに留まろう、と諦めたことも それでも楽しく過ごそう、と無理矢理